心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

なんでそんなに羨ましいのか?

f:id:pilatesno-1:20210323102542j:plain 誰もが、自分より素敵な物や素敵な容姿を持っている人を見ると心が揺さぶられるくらい羨ましくなる訳では無い

何でも出来る人でも、何にも出来ない人でも、他人の成功を一緒に喜べる人と、他人の成功を見たくもない人がいる

その違いは、自分の現状を幸せだと思っているかどうかの違いだ

自分が幸せだと思っていれば、他人の成功を喜べる

ところが、幸せの基準は本当に人それぞれ

同じお金を持っていても、これっぽっちと思う人と十分だと思う人がいる 同じ状況でも、不満や悪口を言っている人もいれば、満足だと思う人もいる

上を目指す事はとても大切な事だし、努力も大切だが、現状に不満ばかりの人は、世の中の全てを手に入れない限り幸せは掴めない?

もちろん、世の中の全てを手に入れるなんて、雲を掴むような話だから、実際はどんなに素敵な物を手に入れたとしても、幸せだとは感じない

ただ、この人達が幸せだと感じることができる時がある

それは、他人からいいなと羨ましがられる時だ 人から羨ましがられる事は羨ましいと思った人に自分が勝てた証拠

「いいね」は彼らにとって「勝ち」なのだ

幸せの証だ

だから「いいね」を集めるし、自慢をするし、嘘をついてでも見栄を張る

逆に幸せだと感じている人はというと、現状が人から見てどんな状態だろうと、今の自分で幸せを感じられる 幸せを感じられない人が手に入れた物と同じ物を手にしたら、夢の様な幸せを感じることが出来るかもしれない

結局そんな人は、ありのままの自分で幸せなのだ

人が持っていようと持っていなかろうとあまり関係がない

人の評価が自分の幸せに繋がる人は、人が何を持っているか?人がどう思うか?が常に気になる

いちいちチェックをしないと自分の幸せが計れない

自分の幸せのために、人のすみからすみまでをチェックするのは当然の行為になる

気持ち悪かろうが、その行為に悪気はないし、皆もやっている当然の作業だと信じている

自分が劣等感の固まりになって、人を羨ましいと思えば思うほど、周りの人は負けたときに、羨ましいと思うと推測する

周りの人に勝ったと思った時の優越感は大きいし、幸せに繋がる

劣等感と優越感を行ったり来たりすると、精神の安定が保てないし、劣等感が出るとバカにされたと思い優越感が出ればバカにする

人の成功は自分の負けを意味するから、祝福は出来ない 人の成功や幸せを喜ぶことは出来ないし、幸せも自分で感じる事はない

精神的に不安定で、勝ち負けと優劣をつけて上が出てくる度に羨ましいと思いながらそれを負かして生きていく

どんなに辛くても、負けるのは嫌だから努力する

そんな人は自分の幸せを図るために我武者羅に生きていくのだ

人を羨ましいと思うことは誰だってある

でもそれが度を超えた時には、幸せを追い続ける覚悟と幸せを自分では掴めないという事を知ろう

幸せは掴むものだし、心で感じるもので、人と比べて計ることは出来ないものだと知ろう

その羨ましいは、自分の力になるか? 素敵な自分になる目標か?

心が真っ黒になってしまう危険なものではないか?をもう一度確認してほしい