心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自分を大切にしない人は人を大切には出来ないよね

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前にも書いてるかも

 

自分の事を「大したことがない」とか「出来ない」とか思っている人は、人を自分の頑張り以上やっていないと認めることが出来ないため、結局他人も大したことが無いと思ってしまう

 

自分の事を大切にして労ってあげられる人は、他人を大切に出来るし労ってあげられる

 

自分をキチンと評価してあげれば、他人も客観的に評価できるのだ

 

「自分は周りより出来る!」と過大評価している平均的な人は、周囲の平均的な人を自分よりも下に見る

 

同じ位だと思っている周囲の人達は下に見られたら不快だし、ましてや自分よりも出来ない人から「出来てない!」なんて言われたら、「お前には言われたくない!」となるだろう

 

逆に「自分は周りより出来ない!」と過小評価している平均的な人は、周囲の平均的な人を上に見る

 

同じ位だと思っている人達が上に見られれば、不快では無いかもしれないが「同じ位なのに!」と思う

 

ましてや、自分よりも出来る人が謙遜しているだけでなく自分自身を過小評価し過ぎて「自分は大したことがない!全然出来なくて周りに申し訳ない」とか言ってしまうと、周りは「私たちはあなたよりももっと出来ないから虫けらみたいってことかしら?」と思ってしまう

 

自分自身を俯瞰で見ることが出来て、キチンと評価して受け入れる事は、周囲の人達をキチンと評価出来るだろうという信頼を勝ち取る事が出来る最短の方法なのだ

 

大したことが無い人が外側だけ着飾って「凄いぞ!」って見せても、チラリと見えた内側で信用は無くなる

 

見た目ではない第六感が働く人なら、見えていなくたってメッキの下を見ることが出来るかもしれない

 

ただのメッキに騙されるほど単純な人ばかりでは無い

 

誰もが正当な評価をしてもらいたいし、出来れば自分の頑張りを認めてもらいたい

 

「この人なら正当な評価をしてくれそうだ!」と思う人の近くに人はいたいし、正当な評価をする人が「あの人素敵な人ね」と言ったら「そうか!」と思えるかもしれない

 

正当な評価をしていると思っている人に「頑張ったね」と言われれば、その言葉は信用出来るし、正当に評価されたと心が満たされる

 

 

それに比べて自己愛性人格障害者は、大変

 

劣等感の塊の上にメッキ加工をして、大きく素敵に見せながら周囲の自分よりも能力のある人達をもバカにする

 

近くにいたら、正当な評価をされない事は目に見えるし、目に留まって評価されれば変な評価が下される

 

そんな人の近くには誰もいたくない

 

取り巻きはそのメッキを本物の金だと信じて、金に自分も金だと認めてもらいたい人達

 

結局、金では無いものが金にはなれないけれど、なんだか変な評価なら金ではなくても金と言ってもらえるかもしれない

 

中身まで金かは、客観的に密度まで見て判断を下す物

 

密度が分からなきゃ、いくら金だといったところで評価もしないし買い取れない

 

「密度は計らせない!」なんて言われれば、信用も得られない

 

人間関係は信頼関係

 

他人より自分自身を掘り下げて考えた、評価の安定した人が、あっという間に信頼関係を勝ち取り、素敵な人間関係を作って行けるのだと思う

 

私もそうでありたいと思うけれど、自分を正当に評価するなんて難しい

 

出来ない事を出来ないと受け入れる事もちょっぴり悲しい事もある

 

まっ、年齢と共に出来るようになっていくことが出来なくなっていくことより上回っていけるといいなと思います