心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者は反省出来ない

自己愛性人格障害者は自分のした事を反省することは出来ない

反省しようと思っても、都合の悪い事は認識出来ない

忘れているのではない

見ても見れない

家の前に石がいつく転がっていたかを全く覚えてないのと一緒で、都合の悪い事はいらない情報として覚えていないし目に入らない

 

何を言われてもまさか自分か悪いことをしているとは思っていないし、自分は正しい事をやっていると確信している

 

反省をしていることを受け入れてもいいとは思うが、反省してこの先は絶対にやらないなんて事は信じてはいけない

 

そこは信じずに、何をどうしなきゃいけないか、本人の口から言ってもらって、それを文書に残して契約させる位しか方法は無いかもしれない

 

それでもそのうちその約束は破られるかもしれない

約束の解釈が違うと言ってくるだろう

だから、その立場や権力を奪うしかないのかもしれない

 

ただ、ある程度権力のある自己愛性人格障害者は能力がないわけではない

魅力的な外見を装うことは出来るし、魅力的な条件を出して、人を引き付けることも出来る

人の気持ちを考える事は出来ないが、考えているような声掛けも出来る

 

上手く使う方法ももしかしたらあるのかもしれないが、私は出来ないし、途中で食われてしまうだろうことは想像がつく

 

もし近づくのであれば、何をやっても反省が出来ない事を心して、自分が食われる事も覚悟して近づけばいいと思う

 

自己愛性人格障害者が自己愛性人格障害者を操作しているのは見た事があるが、そうじゃないと疲れちゃうだろうなとは思う