心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害は認識していない

自己愛性人格障害の人は自分が意地悪をしてるとか、パワハラをしてるとか、怒鳴ってるなんてことを頭の中で認識していない

人は、その事が自分に起きていても周りに起きていても理解して認識しないと起こった事を考えることも留める事も出来ない

例えば、目の前に大きな石が落ちていても気が付く人と気が付かない人がいる

気が付かない人に「さっきあの石あったよね」といくら言っても「そうだった?」ってなる

皆それくらいはよくあるし、心の中で見たくない事は排除する事もある

でも、自己愛性人格障害はそれが極端だし、ありえないくらい自分に都合良く認識する

怒鳴っても、指導
イジメても、相手が意地悪をしてきたから!
で、相手はどんな意地悪をしたかといえば、まさかの自己愛性人格障害の妄想なんて事もザラ

相手が自分の出来ない事をサラッとやった=羨ましい、妬ましい=自己愛性人格障害を馬鹿にする態度をとった=攻撃された=攻撃してもいい

こんな頭の中身だ

しかも自己愛性人格障害は些細なことで、物凄く傷つく
心を殺される=自身を殺されると思うから、殺人さえも正当な理由が付く
相手が殺しかけたから、自身の身を守らなければいけないので、殺人は正当防衛だとなるのだ

自身を守る為の手段が攻撃になる

出来ない自分ももちろん認識出来ないし、自分を俯瞰で見ることなんてありえない

どんなに出来る人でも自己評価が低過ぎて、それを認識するのが怖くてそこに至れない

治るって書いてある事も沢山あるけど、私は諦めた方が良いと思っている
この人達のDVとかパワハラとかイジメは、治る事は難しいし、繰り返す
逃げないと壊されるし、一緒にいてあげても相手は満たされる事はない
大好きと言っていても好きではない

自分が生きていくためのはけ口やゴミ箱が無くなる事を心配して、好きだと言うし優しくするだけなのだ

もちろん、そんなふうに思って相手をつなぎとめている事を自己愛性人格障害は認識していないからそんなふうに言う人はいない

関わる人は、言ってる事と行動のバランスの悪さに違和感を持って対応せざるを得ない

どんなに理論的に攻めてくる人でも、認識の違いを正そうとしたところで認識出来ないのだ

だから、理解させようとしない事
出来れば逃げる事
泣いてすがられても、ゴミ箱はゴミ箱以上になる事はないし、助ける事も出来ないと諦める事
理不尽な関係に相手が言う正当な理由は存在しないと分かる事

結局、人に人は変えられない
親以外、影響を受けるか受けないかは本人の問題で他人に影響を与えようと思って与えられほどの力は無い事に気が付く事が大切だ

相手を変えよう、治そうは、その人の自己満足の為にやっている事を自分にも相手にも気が付く事

認識の偏ってる相手と気が付いて離れる事を選べる事が大切だし、ゴミ箱でも必要とされたいと自分の評価を下げてそこにいる自分の認識もずれているかもしれない事に気が付けるとなんか変わるかもしれないなと思う

離れようと思い立って離れられるほど、簡単ではない
結局、洗脳だから