心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

なぜ顔が広い事を自慢するのか?

私、顔が広いです
沢山の人と知り合いです
有名な人とも知り合いです
って振る舞いをする人いませんか?

周りの人にいちいち声をかけたり、特に権力のある人や有名な人に人前で話しているところを見せびらかす人

あなた達とは違うのよと言わんばかりに、他の人を無視して話す

私はこういうのを凄く見ますし、実際何度もあなたとは違うと直接言われた事があります

私の何が相手をそうさせてしまうのか?
もしかしたらそういう人は誰にでもそういうふうにしてるのかもしれません

でも、あからさまにやり過ぎだなと感じます

そういう人は実際そんなに顔が広くはありません
あまり好かれてもいません
コミュニケーション能力も高くないです
多分頭の奥底では自分はそんなに顔が広くはないし好かれていない事は分かっています
憧れてる自分の姿を演じているだけです

だから、本当に顔が広い人やコミュニケーション能力の高い人、憧れた自分を素でできる様に見える人がいると、私の方が凄いのよとアピールしてきます

つまり私が顔が広く見えるって事でしょうか?
これも実際顔が広いか広くないかは関係ありません
そう見えるって事だけなんです

そんなに喋らない中からどのようにその情報を拾って来るのかも不思議です
顔が広いなんて、本人以外分からない情報です
どんな妄想も可能ですから、随分不確実な所をアピールしてくる人だなって思います


しかも、そういう人達は、有名か有名じゃないか?損か得か?という基準で人とのお付き合いをします
損だと思っていた人が凄い人だったらそこで手のひらを返したようにガラリと態度を変えます

しかも得という判断をしたからってその人を尊敬しているわけでもありません
表でニコニコしていても、裏で悪口をいって人を馬鹿にします

そんな人が人に好かれるわけもありません

結局、憧れの自分はいつまで経っても手に入らず、憧れを素でいく人との距離は縮まる事はないのです

だから、潰さない限り憧れを見せつけられるようで目の前にいるだけで自分の劣等感をえぐられる存在なのです

これは人間関係の広さだけに限った事ではないけど、コミュニケーション能力がある人、顔の広い人というところが、1番気になりやすいところなのかなと思っています
優劣が付きやすいところは、目に見て分かるので妄想の介入がしにくいですから

逆にいえば自慢だけはガンガン出来ます
あの人と知り合いですは言うのはタダです
嘘でも分かりません

平凡そうに見えても実は凄い人って沢山います
見た目ではとても判断出来ませんし、話たって相手のことは分かりません
夫婦だって兄弟だって人間関係を全て把握することは困難ですから、人のそんな所を想像しだしたらきりがないし、あっという間にストーカーになってしまう事でしょう

競う事も自慢することも無意味だし、そこで人間の価値を測るのは不可能だと思うと、頑張ってアピールしている人を見たら哀れだなと思うしれませんね