自己愛性人格障害者の信用性の無さを見て
自己愛性人格障害者は、自分のイライラを周りに散らしながら生きている
イライラせかせかして、何かが起こると感情の任せるまま「私は被害者だ!」と周りに訴える
冷静な判断力も失い、自分の感情をコントロールすることも出来ない
自分と同じ人格の子供の事でも、他の子の親にすぐに噛みついたりしてしまう
しかも、その後に間違えが分かっても謝らない
周りをコントロールしようと嘘をついたりもするので、とにかく信用を得られにくい
すると、本当に問題が起こったときに、その問題を誰かに訴えたとしても「またギャーギャー言っている」と取り合ってもらえなくなってしまう
まるで「オオカミ少年」のよう
結果、問題を上手く解決することも出来ず、ただ迷惑に暴れただけ、一部キチンとしているのに、ただただ鬱陶しいだけ
凄い残念だ
やっぱり、心の赴くままに泣いたりわめいたりしているのは、子供の頃でやめた方がいいかも
大人の対応って「コントロール出来る自分」って事だろうから、コントロールしないと子供みたいな信用しか得られなくなっちゃうのかな
気がつけば、気持ちをコントロールしていつだって冷静な対応を取れる人に信用が集まるのは当然なんだ
そんな大人になれればいいなと自己愛性人格障害者を見ながら思ってみた
心の傷は癒えないけど、成長には変えられると思う
いじめや虐待やDVやストーカーやパワハラにあえば、誰もが心に傷を負う
多分、一生癒えないかもしれない
きっとずっと忘れないかもしれない
だから、そこから動けなくなることだってある
でも、そのままずっと動けないのなら、それは自分のどこかに問題があると私は思う
人それぞれ立ち上がる時間は違うはず
だからといって、立ち上がるのに人生棒に振るほどの時間がかかるのだとしたら、その時間がもったいない
10代のいじめでもし一生引きこもったら、はっきりいってバカらしい
加害者のせいにして一生を過ごす事は、簡単かもしれないけれど、いじめ加害者が一生被害者の責任をとってくれるはずもない
親だって、虐待したり支配しているにも関わらず、子供の人生を一生保証してくれる訳ではない
なぜなら、そもそも人それぞれ幸せの形は違うから
親が思う幸せさえ、子供の幸せかなんて分からないのだ
もちろん、他人の幸せの形なんて他人に理解出来ないのだ
だから、夫婦だって「相手を幸せにします!」なーんて言うけれど、幸せかどうかは本人の問題
なのに、不幸せだったら「いじめた加害者のせい」「親のせい」「夫のせい」なんてあり得ない
いじめはいけない事、虐待も許されない事
悲しい事だし心に傷は残るけど、それと被害者の幸せ不幸せは全く別の話なのだ
「立ち直る」なんて言うけれど、立ち止まっていた自分の人生をまた歩み始めるだけかもしれない
何か困難があって立ち止まったとして、その立ち止まりを誰かのせいにするのは構わないけれど、そこでずっと動かなければ、いつまでも自分の人生は歩めない
前よりも少し自立して自分の責任で人生を歩み始めるって事が人間の成長なのかもしれない
比較やいじめや虐待やパワハラをする人は増えていて、それによって傷を受ける人も増えている
そして、自分の人生を歩んでいない人も増えている
家にとじ込もって社会生活を歩めない人も確実に増えている
動物は数が増えすぎて密度が高くなると、お互いに傷つけあって数を減らすらしい
とりあえず、日本の都市部は人口密度が高すぎるんじゃないかな
共食いや殺し合いは出来ないので、傷つけあって社会生活をする人の人数を減らしているのかもしれません
どっちを選ぶかは自由
どうせなら、傷ついても自分の人生を自分でコントロールしながら生きていきたいかな
「立ち直る」とか「成長する」とか、実はそんなとってもシンプルな事かもしれないな、なんて思ってみました
自己愛性人格障害者とそうでない監督コーチの違いは案外微妙かも
母親が自己愛性人格障害者である場合、子供の出来不出来はそのまま母親の評価になる
チームのトップが自己愛性人格障害者である場合も、チームの出来不出来はそのトップの評価となる
グループを率いるトップが自己愛性人格障害者である場合もグループの出来不出来はトップの評価となる
自分の評価のために自己愛性人格障害者達は釈迦力になるのだ
これ、チームや会社なら当然だけど、家庭や家族、グループや友達になると当然??ではない
だから、会社の社長やスポーツのチームの監督等には当然のように自己愛性人格障害者が多くなる
もしかすると、少し自己愛性人格障害者の気質を持っていた方が、大成するかもしれない
極度の自己愛性人格障害者は厄介だけど、別に悪では無い
母親として子供や配偶者を支配したり、父親として子供や配偶者に暴力を振るったり、ストーカーしてみたり、デートDVしてみたりしたら、全て悪のようだけど、誰もが持っている気持ちだったりする
他人との境界線が極端に曖昧になると周囲とのコミュニケーションが取れなくなってしまうだけなのだ
だから、排除することも無くすことも難しい
では、スポーツチームのトップが自己愛性人格障害者では無い場合、具体的にどう考えているかというと…
成績がいい場合は、選手が頑張ったから! 監督コーチはあくまでもサポート
逆に成績が悪かった場合も、選手や監督コーチが上手く調整出来なかったから! 監督コーチは今出来る最良のサポートをしているので、この成績が今の選手の当然の成績だと考える
もちろん、改善の余地があるから成績が悪いのだけれど、その責任をコーチや監督が全て負うわけでも無い
監督コーチ自身の評価は選手の成績にはあまり左右されない
自分の技術は勉強や経験の裏付けの元にあり、そこで自分のできる限りの事はするため、選手の成績が悪いくても監督コーチ自身の評価が下がるわけでも無い
改善点を一つひとつ潰していけばいいと思う
これが自己愛性人格障害者が監督コーチの場合は…
選手の成績が良かったら「やっぱりあの監督コーチは凄いよね」となる
選手の成績が悪かったら「あのコーチ力が無いのかな?」なんて言われている気がして、自分に自信が無くなる
そんな風には言われたくない無いから、新しい技術を取り入れてみたり、他のチームの真似をしてみたりするけれど、そこに根拠があるわけでもない
強いチームの真似をすれば強くなるだろうという比較のもとにやっている
都合のいいところだけを真似するので、それで上手くいかないと次の方法に移ったりして、なんだか芯が無い感じになったりする
上手くはまればラッキー!だから、もちろんそれで上手くいく場合もある
過去の栄光がある場合は、自分のやり方が正しいといい続け他のやり方を頑なに受け入れなかったりする
それ、全て自分に自信がないのだ
監督コーチとしての技術に勉強や経験の裏付けが無いため、成績の良し悪しによって、自分のやり方を真逆にでも変えられる
過去の栄光にとらわれると、他の人のやり方を受け入れるなんてプライドが許さない 劣等感の塊の心には、他人のやり方を認める余力はない
良い成績をとった時に「監督コーチのお陰です」言う人達でも、監督コーチが選手と並列の関係であり選手が心からの感謝を監督コーチに述べた言葉である場合と、監督コーチと選手が支配関係にあるため監督コーチを賞賛するのは当然の事として出てきた言葉では、全く違う
パッと見、分からないかもしれない
でも、そんな支配関係は凄い選手を育てる有名監督コーチに多そうだなって想像もつく
自己愛性人格障害者である親の場合は、自立した自己愛性人格障害者ではない監督コーチの「改善策を考えましょう!」なんて発言に「あんたの力不足なんじゃないの?」って言いかねない
本当に監督コーチの力不足の場合もあるけれど、そうでない場合は自分の子供の成績の悪さの責任を監督コーチに押し付けた結果のそんな発言だと割りきる力がコーチ監督には必要かも
自分の子供の成績の悪さを親の評価としなくてもいいし、監督コーチの評価にだってしなくてもいいのだから
そんな発言をする親たちは、そのうち「うちの子にはもっと子供を立派に育ててくれるコーチがいるはずだ」と他のチームに移るだろう
自分や自分の子供にはそのチームや監督では力不足だと言うだろう
親が子供のことを思ってする監督やコーチ、チームの移動に対する考え方も、監督コーチの考え方も自己愛性人格障害者かそうでないかは微妙な違いかもしれない
でも、子供達の成長には物凄い影響がある
全てが悪ではない自己愛性人格障害者という存在を見ながら、自分も含めて自立して生きていきたいと改めて思う
自己愛性人格障害者からの攻撃の影響は大きい
我が子達が最終的に自己愛性人格障害者の攻撃から逃れて1年半が経った
しっかりと守ってくれる存在が出来て、そろそろ立ち直って来たかなと思っても、やっぱり影響は残る
守ってくれる人が近くにいるときは大丈夫なのだが、そうではない時にその自己愛性人格障害者に会うと一気に自信を消失する
思うように気持ちも体もコントロール出来なくなるのだ
そんな我が子を見ると、うちの中でイライラをぶちまけながら生きている事に仕方なさを感じる
普段忘れっぽい子のその記憶からもなかなか消えない傷は、やっぱり大きいのかもしれない
いつか乗り越える日が来ると信じているし、それを支えてくれている人達に感謝したい
そして、何より同じ痛みが分かる家族を大切にしたいと思った
自己愛性人格障害者は自分の劣等感を攻撃に変えて生きている
あんな小さな子供にさえ劣等感を覚えるほどの自信のなさにやられてしまうなんて…
自己愛性人格障害者が欲しくても一生得られない愛情と温かさを持って、子供達が立ち直っていくことをサポート出来たらいいな
私も立ち直り途中
他人の忘れっぽさとの違いがイライラの原因??
人間結構忘れっぽい
その忘れっぽさは千差万別 しかも、同じ人でもその事柄に興味があるかないかによってかなり違う
なのに、相手は自分と同じように覚えているとどこかで思ってしまうときってある
これが、イライラしてしまう一つの要因なのではないか?と思う
インフルエンザでしんどい思いをして「ウーウー」唸りながら寝ていても、自分が治ってその1ヶ月後に家族がなったときにその辛さを覚えていない人はいる(うちの夫…苦笑)
そんなのひどい!と思うけど、本人は忘れてしまっているのだから、自分の時を思って動いて欲しいとか思って欲しいなんてどうにもならない
共感性がないって事は、もちろん想像力に欠けるってことなんだろうけど、経験してないから想像出来ない人と経験したことを忘れてしまって想像出来ない人がいるのではないかと最近思う
で、どっちにイライラするかと言えば、絶対的に経験したのに忘れてしまって想像が出来ない人達
分かってるはずなのに!!とついつい思ってしまうけど、その記憶は遠く薄いから経験してないのと変わらないのかもしれない
もちろん、それが悪いことばかりではない
細かいことは気にしないというよりは気に出来ないので、ゆったりおおらかで寛容だ
興味があることはきちんと覚えているし、自分に必要か必要ではないかをしっかり取捨選択出来る人もいるため頭が悪いとか良いとかはあまり関係ない
でも…周りはイライラはする
そして、自己愛性人格障害者はまさにそれなんじゃないかと思う
自分に都合が悪いことは全て忘れる なかったことにする 認識出来ないコンピューターのように…
しかも、出来事を簡単にすり替える これもコンピューターのように…
一緒にいるとイライラしたり矛盾を感じたりするのかもしれない
でも、実際はイライラしても相手が自己愛性人格障害者の場合は怖くて当たることなんて出来ない
だからもちろんストレスは溜まる
そんな相手にとはどう接するか??
「なんだそれ」って言える事が大切なのかなって私は思う
自分の感覚を自信を持って主張出来る事と、そういう相手以上に自分に都合の悪いことは気にしない事が大切なのかも
自信がないと自分が悪いと思いがち
失敗するかもと心配したり、それを思って小さくなったりしがちだ
仕方がないかもしれないけど、相手は自分の都合の悪いことは一切覚えていないかもしれないのだ
それに太刀打ちするには、いくら酷いことを言われようが、通過出来る位の忘れっぽさが必要なのかも
実際はそんな事はなかなか出来ないのだから、一緒にいようと思うなら、落ち込むのはしょうがないと自分に言い聞かせるか、相手をある程度諦めるかの選択なのかな
一緒にいれない位酷いのなら、自分を守るために逃げる事はもはや最良の選択肢かもしれない
ちなみに、私は一緒にいれない位酷くなければ、相手を諦めて弱っている時に嫌みの一つ位言っている(ひとつじゃないな…)
喉も過ぎればあつさを忘れてしまう人には喉元で言うしか無い
そこで自分が言えないのなら諦める
周りの自己愛性人格障害者に対しても、知らないふりしてあっけらかんと嫌みを言うかそれが出来なそうなら近づかない
同じような感覚を持つ信用出来る人がいるなら、そこで自分を保つために愚痴をこぼす…
それが自己愛性人格障害者がゴロゴロいる中で私がストレスを溜めないで生きていく方法かも
我が家族には忘れっぽいのが半分以上いる
でも、忘れっぽくない人も一人じゃない
あの忘れっぽさにはホトホト参るけど、原因の一つが分かれば対応は出来るかもしれない
まさか、忘れっぽさが原因とは思わなかったな
ちょっと気がついて一歩前に進める気がした
夫を教育しました!が苦手
私が自己愛性人格障害者かな~と思う奥様達の旦那さんは、皆優しい
親切を装った排除
自己愛性人格障害者は常に自分だけが得をしたいと思っている
自分と同じ年齢、同じ様な能力、似たような家族構成等、自分や子供と条件が被る人は常に競争相手になるので、出来れば早めに排除したい
完全な排除とまでいかなくても、「その日は来てほしくない」とか「有名人が来る時はライバルにはお休みしてほしい」とか…
でも、あからさまに排除するのは、カッコ悪いと思うのか、とにかく親切を装う
「ここだけの話この日は何だか体育館がメンテナンスらしくて、使えるけど使えないに等しいって先生から聞いたのよ、そこまで先生が仰るもんだから、うちも練習に来るか迷ってて…」なんて言う
ライバルが「じゃあ、ちょっとその日はお休みしようかな」なんて言ってくれたらしめたもの
お得な情報をそっと教えてあげた振りをして、排除出来る
親切を装うのがカギ
周囲が、この人に聞けばレア情報がはいるかも!なんて思って貰えれば、当分嘘でも噂でも何でも信じてもらえちゃう
「ここだけの話」をそっと周囲に話しながら、周りにライバルへの敵対心を抱かせ、ライバルの悪口を言いながら周囲の情報を入手し、「あの人裏ではあなたの悪口を言ってるのよ」といいながら、ライバルも周囲も操作する
気がつけば、ライバルの周りには誰もいなくなり、精神的に追い込まれていなくなる
ニコニコと愛想よく近づいて、親切を装いながら、そっと排除を繰り返し、気が付けば周囲のライバルらしき人達は潰されていくのです
すごいなあと感心します
凄いです