心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

心の傷は癒えないけど、成長には変えられると思う

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いじめや虐待やDVやストーカーやパワハラにあえば、誰もが心に傷を負う

 

多分、一生癒えないかもしれない

 

きっとずっと忘れないかもしれない

 

だから、そこから動けなくなることだってある

 

でも、そのままずっと動けないのなら、それは自分のどこかに問題があると私は思う

 

人それぞれ立ち上がる時間は違うはず

 

だからといって、立ち上がるのに人生棒に振るほどの時間がかかるのだとしたら、その時間がもったいない

 

10代のいじめでもし一生引きこもったら、はっきりいってバカらしい

 

加害者のせいにして一生を過ごす事は、簡単かもしれないけれど、いじめ加害者が一生被害者の責任をとってくれるはずもない

 

親だって、虐待したり支配しているにも関わらず、子供の人生を一生保証してくれる訳ではない

 

なぜなら、そもそも人それぞれ幸せの形は違うから

 

親が思う幸せさえ、子供の幸せかなんて分からないのだ

 

もちろん、他人の幸せの形なんて他人に理解出来ないのだ

 

だから、夫婦だって「相手を幸せにします!」なーんて言うけれど、幸せかどうかは本人の問題

 

なのに、不幸せだったら「いじめた加害者のせい」「親のせい」「夫のせい」なんてあり得ない

 

いじめはいけない事、虐待も許されない事

 

悲しい事だし心に傷は残るけど、それと被害者の幸せ不幸せは全く別の話なのだ

 

「立ち直る」なんて言うけれど、立ち止まっていた自分の人生をまた歩み始めるだけかもしれない

 

何か困難があって立ち止まったとして、その立ち止まりを誰かのせいにするのは構わないけれど、そこでずっと動かなければ、いつまでも自分の人生は歩めない

 

前よりも少し自立して自分の責任で人生を歩み始めるって事が人間の成長なのかもしれない

 

比較やいじめや虐待やパワハラをする人は増えていて、それによって傷を受ける人も増えている

 

そして、自分の人生を歩んでいない人も増えている

家にとじ込もって社会生活を歩めない人も確実に増えている

 

動物は数が増えすぎて密度が高くなると、お互いに傷つけあって数を減らすらしい

 

とりあえず、日本の都市部は人口密度が高すぎるんじゃないかな

 

共食いや殺し合いは出来ないので、傷つけあって社会生活をする人の人数を減らしているのかもしれません

 

どっちを選ぶかは自由

 

どうせなら、傷ついても自分の人生を自分でコントロールしながら生きていきたいかな

 

「立ち直る」とか「成長する」とか、実はそんなとってもシンプルな事かもしれないな、なんて思ってみました