子供を育てる事で沢山成長出来るよね
子供なんていなくたって困らない
誰かに迷惑をかける訳じゃないし…
確かに、子供を生み育てなくたって生きていける
なんなら結婚だってしなくても平気
でも、結婚することで人は成長する
そして、子供を育てる事で人は成長する
結婚することで、育ちの違う他人と何年も一緒に過ごすことになる
考え方も違うし、生活のスタイルも違う二人がずっと一緒にいることで、自分の価値観とは全く違う価値観を受け入れて生活することの難しさを肌で感じるのかもしれない
そして、子供を育てる事で、自分の考え方を継承してもいいのかどうかを考える
それって、実は自分を考えるということ
だから、子育てにちゃんと参加すれば自然と自分を見直すことになる
子育てにガッツリ参加した人は必ず自分を成長させる
中途半端に子育てすると、自分を見ずに理想を追っかけて子供だけを成長させようと苦しむ
何が子育ての正解かなんて分からないけど、子供と一緒に自分が成長出来ればいいなと思う
ならば、子供を育てる人が減っている今の時代は、人が成長しづらい世の中かもしれない
そんな人達が作る世の中なんて、衰退していきそう…
取捨選択をするにも知識と能力が必要だから
何かを習得しようとするときに、先生につく一番の目的はもちろん技術を身につける事だと思うけど、それよりもその先生の経験からのその人に要るもの要らないものの選択をして貰うことにあるのかなと私は思っている
だから、その取捨選択を託せるような信頼関係が必要だろうと思う
取捨選択をするには、現状把握が必ず必要だから、観察眼のない人には先生として難しい
そして、自習や自主練習をする場合は自分の現状把握が出来ない場合は、もしかしたら練習内容の取捨選択をあまりすべきではないかもしれない
思春期は反抗期もあり殻に閉じ籠りがちな子達は、勉強や運動で親の言うことは特に聞かない
勉強やスポーツの全体像を見れなかったり現状把握が出来ない状態での自分本意な取捨選択をしている限りはなかなか上達は見込めないかもしれない
先生や親との信頼関係を作り取捨選択をある程度任せられる様になって一段、自分で現状把握が出来て取捨選択を自分で出来るようになったらもう一段上に上がれるのかななんて思う
それは、何歳で出来るかは人それぞれ
でも、大学生位で習得しないと、働いてから困っちゃうんだろうななんて思う
そのために、スポーツって必要なのかもしれない
目的を持って、それを目指したり達成するために、信頼関係を築いたり、考えたりすることを自分の身体を使ってすることが成長には不可欠なのかもしれないな
人間、生きている限り日々取捨選択をし続けるのだから、人生の取捨選択がきちんと出来るように、子供達をスポーツに目標を持って向かわせてみて欲しいなと思います
忙しそうにしている人は出来る人ではない
忙しそうにしている人っている
私の周りの自己愛性人格障害者はかなりせかせかしている
あれもやらなきゃ!これもやらなきゃ!とせっかちに動き回り「昨日も寝れてないのよ~」と声高々に話す
「忙しいからお手伝いは出来ないわ」なんてわざわざ言ってくる割には、周りには手伝いを強制させる
悪口を散々言う時間はあるけれど、人の話を聞く時間はあまりない
余裕を持って対応出来なかったり、相手のキャパを測れなかったり、もちろん自分のキャパも把握してない
人に仕事を任せるときに、この人にこの仕事は難しいと思えば、少しお手伝いすればいいだけなのにそれも出来ない
無理そうでも気にせず丸投げするから、忙しそうにしている人から受ける仕事を周囲は嫌う
「出来る範囲で」とか「困ったことがあったら言って」なんて形だけで、実際は投げてしまった仕事は「忙しい」を理由に一切手伝わない
結局、忙しい人は時間の使い方が下手なだけ
毎日忙しい事をアピールするのは「仕事が出来ないんです」とアピールしてるのと一緒
みっともないからやめたらいいのにカッコいいと思っているあたり終わっている
私はイレギュラーな出来事が入ってきても調整出来る位のキャパの余裕がある人の方が、断然カッコいいと思うけどね
親切の押し売りをする夫
我が夫、たまに気を利かせて何かをやってくれる時がある
子供がそれに付き合った時にあれって思ったり、自分の意向に添わないことをしそうだなと感じたとき、子供達は「ママに聞いた方が良くない?」と夫に言う
そんなときは大抵「聞かなくていいよ」と言う夫
でも、大抵私にとってもちょっぴり迷惑な事
相手が親切で気を利かせてやっていることだから、なかなか私も「いらなかった!」とは言えない
それでもとっても迷惑な時は「いらなかったなあ」と私は言ってしまう
すると夫は大抵ぶちギレる
でも…そもそもそれって親切の押し売り
やってもらってうれしいはずだと思いながら売り付けて来たのに、買わないと脅すようにぶちギレる
毎度同じことをするのに、なぜ子供の言うことを聞かないのか?
それは、そもそも夫は子供を一人前に扱っていないからではないかと思う
夫はどこかで「子供だから」と子供のことを下等な生物くらいにしか思っていない様なところがある
だから、子供も自分の意向ではとてもその親切の押し売りを止める事が出来ないと判断して「ママに」と助けを求めてくるのだ
夫にとって衝撃的な出来事があって劇的に考え方を改めなければならない事態が起きてもなお、そんな出来事は時々ある
「自分は下等な生物を育ててやってる人間」なんて態度をとれば、子供達は敏感に反応するし嫌がる
子供も大人も一人の人間として見るかどうかは、親の関わり方次第だと私は思う
私は子供だからって未熟だとは思わないし、大人だからって成熟してるとも思わない
大人を4才と同じに並べることもある
だから、夫のたまにのそんな言動を残念に思う
衝撃的な出来事で、ちょっとは変わってくれるかななんて思っても、人はなかなか変わらないんだなと痛感する
「三つ子の魂…」なんて、きっと小さい頃の環境は大切だ
やっぱり家族関係って基本だ
もっと、家族関係の中での人間形成を大切にした方がいいのかななんて思う
いい夫なんだけどね、たまに残念に思う
私も気を付けよう!なんて
丸め込んでいる!と自己愛性人格障害者
どんなグループや会社にも新人さんが入ってくると、周囲はどんな人かな??と観察する
自己愛性人格障害者は、新人さんには人一倍厳しい目を向ける
そして、この新人が使える新人か?そうでない新人か?得する新人か?損する新人か?を値踏みする
大抵は新人に価値など無い
でも、自己愛性人格障害者にとって価値が無いから使えない訳ではない
ゴミ箱としてバカにできる価値があるかも重要
自分と比べる要素があるか?無いか?人に出きる自分をアピール出来そうか?出来なそうか?
もしアピール出来そうなら、優しく近づきその新人や他の新人の細かな情報を聞き出し、様子を伺う
自分が勝てそうも無い物を持っていそうな新人がいるなら「いけすかない」と言い、敵対視して悪口を言う仲間を作り出す
もちろん、上司や他の人達だって「この人はどんな人か?信用はおけるか?」なんて事は誰もが見ている
だから、上の人や長く居る人に可愛がられる新人だって出てくる
すると、自己愛性人格障害者は「アイツは上司を丸め込んで、良からぬ事を企んでいる」と言う
ふふ、丸め込める??
自己愛性人格障害者にとって自分より上の人の存在は損得のみ
得しそうな人にすり寄るか、損しそうな人の情報を得しそうな人に流して手柄を立てるか、なんて事しか無い
信用は、その人が得しそう物や情報をせっせと持っていき手柄を重ねることでしか得られないと信じている
だから、上下関係があるのに突然意気投合して信用が作られるなんて考えられないし、もしそんなあっという間に距離が縮まる出来事が目の前で起きようものなら、「どんな得をこの人は積んで上の人を丸め込んだのだろう?」と考える
そして、無いこと無いこと噂を立てて悪口を言う
物を送ったんじゃないか?利益が出るようにしたんじゃないか?あのつてを使ったんじゃないか?夜を共にしたんじゃないか?なんて…
そもそも「人を丸め込む」って言う時点で、上の人をバカにしていると私は思う
「アイツは見る目が無い上司で騙されている」と言っているのと同じ
自己愛性人格障害者であればともかく、そうでなければ損得だけで物事は考えない
そして、人間見えてる事だけが全てではない
全てを自分の価値観のみで計れると信じている自己愛性人格障害者には分からないもので人は動く
だから「人を丸め込める」なんて無いと私は思う
その中身は「仲がよさそうで羨ましい!」とか「信用されてて羨ましい!」って事なんだろうけど、嫌味ったらしく色眼鏡で変な噂を立てるのだけはやめて欲しいなあなんて思う
あれが、いわゆる「いじめ」なんだろうけど、自己愛性人格障害者が多いとまとまるから面倒
静かに無視して、そっと打破するって出きるかな??
自己愛性人格障害者を見ながら人間関係の勉強
自己愛性人格障害者がごろごろいるコミュニティーで生活していると、そこかしこでターゲットになる人が出てくる
でも、だからって外から注意を促しても仕方がない
「気を付けた方がいいよ」なんて言ったところで、大抵「何を言っているのかしら?」と思われる
逆にあの人は人のことを悪く言って失礼な人だ!と思われるかもしれない
それは、自己愛性人格障害者が大した自己愛性人格障害ではないとかではない
ターゲットが「この人はいい人かも!」って思って、自己愛性人格障害者との距離をぐぐっと近づけてその人以外の人を信用出来なくなったところからでないと、自己愛性人格障害者は本性は表さない
私がもうヤバそうだ!って思っていても、誰もそんな風に感じていない
それが本当に不気味だ
右の自己愛性人格障害者の被害に合って「大変だー!」とバタバタした人が、左の自己愛性人格障害者とベッタリしだす
大変だー!とバタバタしたときに、相談される時は、一応「私は右の自己愛性人格障害者も苦手だけど左の人も苦手よ」なーんて具体的に言っている
でも、誰一人としてその忠告は聞かない
要するに、ターゲットはターゲットになりやすい人なんだ
まるで、詐欺に次から次へと引っ掛かる人のよう
そんな人は振り向けば自己愛性人格障害者がいるような状況下では、自己愛性人格障害者を渡り歩いてしまう
苦しんでいるのを助けてくれるのは、自己愛性人格障害の悪口を言い共感しながら「分かるよ~」と優しく素敵なお面を被って近づいてくる別の自己愛性人格障害者だったりする
一人でいるのが怖いから、一人でいる自信も無いから、自己愛性人格障害者を便りにほかの人の悪口を言いながら常に被害者を装っている
まさか、誰かを追い詰める情報を自分が提供しているなんて知らず、べらべらと全ての事をさらけ出す
結局、ターゲットも自己愛性人格障害者も同じ様に人をいじめ、優越感に浸り生きている
忙しかったらそんな下らないことしないのだから、やっぱりあの人達は暇なんだ
あの人達を観察しながら、そっと距離の取り方を勉強させてもらっている
たまに火の粉がとんでくるけど、仕方ない
犯人探しが好きな自己愛性人格障害者
事故が起こったとき、物がなくなったとき、遅刻しそうになったとき、失敗したとき、何かが起こったときに、怒りに任せて人のせいにしたり、犯人探しをする人がいる
「だれ?誰がやったの?」「誰のせいでこうなったの?」「何でそんなことするの?」
なんて…
無くなった物が見つかって、それが故意ではないと分かってもなお犯人探しをしたり、仕事で失敗したときに、いつまでも「あいつのせいだ」とか「あいつが失敗したのか」とか「誰がやったの?」とか周りに聞いて回る人
はっきり言って犯人を見つけても、誰かのせいにしても、それってあまり意味がない
失敗したけどその分次は学ぶかもしれないし、やったことがゼロになる訳じゃない
探している物が見つかったなら「良かったね」で終わりでもいいはず
意地悪で誰かが隠したなら、そりゃー「誰がやったの?」ってなるかもしれないけれど、そうじゃないなら仕方がない
なのにいつまでもブツブツと言い続ける
なんで?
それは、人を否定したいから
人を攻め立てる事で「自分は人を攻め立てられるくらいちゃんとした人間」って自信を保ちたい人達だから、ずっと人を攻め続けていないと自分がちゃんとした人間だと思えなくなっちゃうのかも
人を責めている時だけ、自分が安定できる人達
人を責めている時以外は、自分が生きている価値が無いのかもしれないと思うほど不安で、そんな自分にイライラしている人達
要するに、ただ自分の中のイライラを人にぶちまけてるだけ
「なんで起こしてくれなかったんだ!ママのせいで遅刻するじゃないか!」って言っている子供のようだ
自分で起きれなかった事を棚にあげ、親が起こしてくれるのが義務であるかのように親に責任を押し付けて、親を攻め立てる
目覚ましをかけないで起きれなかった自分はどこへやら…
「テストの点数が悪かったのは、隣の席の奴が前日楽しそうな話をしてたからだ!私の勉強が出来ないように邪魔したからだ!」とか言ってくる
支離滅裂でびっくりしてしまうけれど、それが凄い筋が通った正当な理由だといい放つ
そんなの子供じみてると思うかもしれないが、自己愛性人格障害者はそんな犯人探しや人のせいが大好きだ
もちろん、そんな上司なら部下のモチベーションは下がるだろうし、何より失敗しないように誰もがチャレンジしなくなり萎縮する
失敗しないようにドキドキしながら仕事をしたりすると、プレッシャーがかかり益々失敗するなんて事もあるかもしれない
誰も標的にはなりたくないから近づかない
自己愛性人格障害者の周りでは、そんなことが良くある
結局、犯人を探しても時間の無駄
犯人を探した人の株も下がる
それに気がつかないって残念だな~
「見つかったからいいよ~探してくれてありがとう!」「次、失敗しなきゃいいよ~頑張ろう!」なんて言えたら、株も上がるのになあ~
なんて思う