日本は過干渉に寛容すぎ…DVと過干渉は同じ
DVは許せない!
暴力はやめた方がいい、DVは犯罪だというのはだいぶ世の中に浸透してきたと思う
これは、大抵力の強い男性の人を支配する方法だと思う
それに対して、力のない女性のDVは少ない
家庭内でのモラハラや子供への過干渉という形で人を支配をする
日本の子育ては最近過干渉ぎみだ
過干渉はDVと中身は一緒なのにも関わらず、言葉の暴力は目に見えないし、干渉は熱心な子育てとして、全く問題視されない
中身は変わらないし、それをする人のメカニズムやフィルターは全て同じなのにに、逆に素敵なお母さんとして取り上げられたりする
主に男性が行うDVやいじめは「殴られたくないなら俺の家来になれ!」と従わせる
ターゲットは自分が保てない恐怖で殺人さえも出来てしまうほど、洗脳される
それと同じ事がまさか過干渉で、まさか熱心な教育ママがしているなんて、世の中の人は想像も出来ないのかもしれない
でも、全てをやってしまい子供の意見は全て間違いだと否定し「私無しでは何も出来ないダメな奴」と育ててしまうことは、親から離れられない親に依存した従順な家来を作り出していることと何も変わらない
どちらも、子供や配偶者を支配して依存させ、自分の力を示している
相手を下に見ることで「人間としてダメな奴」である自分よりダメな奴はいると安心する行為だ
支配出来る奴隷のような人間がいることで、自分の力を示すのだ
DVはダメで過干渉は素敵なママともてはやされる今の世の中が許せない
DVより遥かに根深くて、DVと同じ効果があり、しかもDVやいじめやストーカーやモラハラをする人達を量産する過干渉をしながら子育てをする母親が、「熱心で素敵な子育てをするママ」としてメディアで紹介されることの違和感をずっと感じている
「あなたは何にも分かってないダメな親ね」と言われながら、日々の生活を送っていないだろうか?
「どうせ何にも出来ないなら私の言う通りに動いてればいいのよ」なんて言われながら、せっせとイライラする配偶者の言うことを聞いていないだろうか?
洋服のセンスも罵られ、相手の好みの物を着て見栄を張ったお出かけをしていない?
「近くの○○ちゃんは海外旅行に行ったから、うちも海外旅行に行きましょう!」なんて言われてない?
「○○ちゃんは塾に行っているから、うちの子にもいい塾を探しましょう!」
「誰よりも素敵に見える家族を作りましょ!」
「あの家よりうちは幸せね」
「私って甲斐甲斐しく子供や配偶者に尽くす素敵な親でしょ!」
「私の方がやるの早いから私がやっておくね」
「あのご主人こんなこともするらしいよ、あなたも出来ないの?」
なーんて、会話が日常だったりしない?
イライラすると「なんで出来ないの?」「どうして言われた通りにしないの?」「あなた人間として常識がないの?」「大人として常識じゃないの?」 「親として常識じゃないの?」 「男としてダメなんじゃないの?」
とその人の人格を問う 人格の否定は言葉の暴力だ
子供には「何で、言うことを聞けないの?」 「こっちはあなたのことを思ってやっているのにどうしてキチンとやらないの?」 「あの子は出来るのにどうしてあんたは出来ないの?」
と「なんで」を連発する
頑張っても出来ない子供に「なんで」を連発するのは、努力が足りないと安易に言っている
「私の言う通りに努力すれば、あの子みたいになれるのよ!そうすればあの子の地位は奪えるのよ!」と誰かの地位を奪う事を目標にする
誰かを目標にするのとは違う
その人の地位を奪えば自分が幸せになれると信じているのだ
でも、そこに幸せはない
見た目幸せそうな家族で、過干渉で素敵な母親は、そんな風に出来てる場合も多く、家族の人格を全て否定しながら自分を立ててもらって、素敵に生きている自己愛性人格障害者である場合が多い
見た目は全く違うけど同じ考え方で同じ自己評価の低い人間を育てるDVと過干渉で、DVは許されなくて過干渉は許されるなんてあり得ない
従順で物静かな配偶者(夫)と、親の指示を良く聞く子供という取り巻きを従え、自己愛性人格障害者である(母)親が闊歩する姿を私はDVをする(父)親と同列の人間として見ている
そう考えたら、この問題は男性ばかりの問題ではないのにね
DV被害者を攻撃しても
小4女児殺害…DVの被害者である母親が逮捕されて責任が問われていけれど、行政の男性が束でかかって恐怖を感じているのに、それでも母親は子供を守る義務があるって攻撃する人達の気がしれない
「一緒にいない時間は支配されてる訳じゃ無いのにその間に母親は何とか出来なかったのか?」ってコメンテーターの言葉に胸焼けのようなやるせない気持ちと、きっと分かるわけのない絶望感を覚えた
DVをする自己愛性人格障害者達のターゲットへの心の支配は、24時間365日
それはどんなに離れていようと、どんなに連絡を断っていようと続く
10年離れていても電話の声で一瞬でよみがえる恐怖
ターゲットはその支配に怯えて生きている
それは、もう遠い昔の話でも、裁判が終わっても、自己愛性人格障害者が生きている限り続く事がほとんどだ
これをやったら後で罵られるんじゃないか?と思うと、やっと立ち上がれそうな小さな勇気も簡単に潰される
もうその場から動く力も無くした人を縛り付けて置くことは簡単だ
子供を守りたくても、自分がまず立ち上がれない
電話の通知が来るだけで体が震える
静かにしておくことしか出来ないのだ
子供が誰かに助けを求めたなら、ちゃんと助けるべきだし、それをしなかった行政に問題がある
子供だけではなく、この母親も助ける対象であり、攻め立てて「なんで!どうして!」と攻撃するのは、どうかと思う
確かに、自己愛性人格障害者から攻撃を受けていない人にこの支配がどれくらいなのか?なんて分からない
同じ自己愛性人格障害者に攻撃を受けている人同士でさえ、他のターゲットの気持ちは分からない事も多い
だから、この母親がこの子供の事も分からなかったかもしれない
そのくらい、DVの被害者やいじめの被害者の精神的苦痛や状況が分かりにくく複雑な物だと知って欲しい
あの「なんで母親として子供を守れなかったのか?何でそこに至らないのか?」って言葉が、被害者を攻撃して母親を母親の資格も無いと言っているかの様で悲しくなった
そのコメンテーターが嫌いなのでは無い
他人には分かりにくいその状況が、新たに加害者を作ってしまうことのやるせなさが、半端ない
もう、責めないで欲しい
手を差しのべられなかった行政の問題点をクリアにして、一人でも多くの被害者を救って欲しい
とにかくあのニュースが辛い
「あの子に付いて行きなさい!」
これ、自己愛性人格障害者である母親が良く子供に言うのを聞く
この言葉には前には「あの子に付いて行けば得しそうだから」という言葉が隠れている
もちろん、自己愛性人格障害者の親を持つ子供はそんなこと言わなくても分かっている
べったりと張り付いて、その得を逃さない様に同じ行動を取る
別に一緒にいたい訳ではない
その子が好きな訳でもない
仲良しな訳でもない
「先生に見てもらえそうだ!」なんて思えばすぐに「一緒にやって来なさい!」なんて指示が飛ぶ
でも、一緒にいたくない人がくっついて来るのは皆嫌
迷惑だし邪魔だから、そっと振り払おうとするのに、自己愛性人格障害者の親もその子供も全く気がつかない
でも、毎回「あの子に付いて行きなさい!」「一緒にやって来なさい!」っていい続ける
親からも「よろしくね~」なんて言われる
嫌なこった!
自己愛性人格障害者の子供とも自己愛性人格障害者本人とも一秒たりとも一緒に居たくない!
気がついてくれー、嫌われてる事を!
気がついてくれー、距離を置いていることを!
不登校からの脱出
小学校高学年での転校により、学校に行くことを渋る日々が始まった
何とか卒業式を迎えて、新たに中学生になったが、夏休みにお友達が携帯を持ちSNSで小さい頃の情報を流すと、学校や地域でその情報は共有されることになった
不登校はあっという間だった
大好きな趣味でも、先生が自己愛性人格障害
親子が自己愛性人格障害者
周りからの攻撃に心が壊れた
タイミング良く引っ越ししたが、それでも心の傷は深く、外に出る力もなくなった
趣味での自己愛性人格障害者からの攻撃は引っ越し先でも多く、壊れた心を動かす力はもはや無くなってしまった
人の妬みの力は大きい
心を壊すようないじめも情報操作も今は簡単だ
あっという間に不登校なんて良くある
でも、日本の教育や世の中は不登校には優しく無い
そこを嘆く事もしてみたが、何も変わらない
教育委員会に文句を言っても取り合わない
「前例がない」の一言でどこまでも片付ける人に人生を託しても仕方ない
じゃあどうするの??
結局、自分で立ち上がるしか無い
一人では無理なら、周りの手を借りるしか無い
親も子供も、外との関わりを閉ざしては何も始まらない
親だけでも、趣味だけでも、親子だけでも、とにかく外に出る
出来ることだけはやめない
そうじゃないと、誰からの助けも得られない
そうじゃないと、どこに手がさしのべられてるかも分からない
高校に通えるし行きたい大学も成りたい職業も決まった我が子でも、今はまだ脱出中だ
もしかしたらこれからも一生、不登校からの脱出中かもしれない
でも、周りには助けてくれる人が居て、好きなことに全力を傾ける事が出来て、学校にも通っている
大多数の中には入らない道たけど、ここを選べたのは、不登校でもがき苦しんだからだろう
何でもいい
誰でもいい
少しでも手が差しのべられたときに、掴んでみることが出来たら、そこからホロホロと絡まった糸がほどけるかもしれない
苦手に向き合えるほど好きなことが見つかるかもしれない
不登校の子供達にそんなきっかけがあることを願う!
誰かのきっかけになるかもしれない活動をそっとやろうと思う
それが、今不登校から脱出中の我が子や私の出来ることなんじゃないかなと思う
めざせNO.1 倉敷でしかやってないけど、遊びに来て欲しいな
mezase-no123pilates.jimdofree.com
得をしようと近づけば、得をしなければ裏切られたと思うだろう
この人といれば、得しそう!
そんな気持ちで近づいて来る人は、世の中沢山いる
そうじゃない価値観で動いてる人っているの?って思うくらい多い
そういう人達は、自分一人だけ得をしたいと思っている
そのための情報収集に余念が無い
子供の事は放って置いて、情報収集の為に色々な人とのお喋りに時間を割く
子供達は寂しそうだ
ただ、お母さん達は子供の為にその情報収集をしていると言う
子供達は自分の為に得する情報を持ってきてくれるお母さんの為にその寂しさを我慢する
そして、その寂しさを紛らわしてくれる大人にべったりとくっつく
他の親だったり、先生だったり…
自己愛性人格障害者の母親を持つ子供達の大人に何かを求める目は特徴的だ
子供達がそこまで我慢して、お母さんに得てもらった得々情報
もし、子供がその情報を生かしてくれなかったら、親は怒るよね
子供達は、必死にお母さんが必要でありがたいとアピールする
そうしないと、親が怒るからだ
全力で情報を集めて、自分だけ得をしようとくっついてみたけど、何の得も得られないとき、あの人達は「せっかく一緒にいてやったのに何にも得られなかった!」とぶつぶつと相手や周りに文句を言う
自分の見込み違いを棚にあげ、何もせずに人のおこぼれに預かろうと近づいて、何も得れないと相手が「ケチだ」「裏切られた」と文句を言う
そもそも、「おこぼれに預かろう」とか、「自分だけ得をしよう」とか考えながら近づいて来る人を良く思う人なんてそんなにいない
でも、そういう人達は、皆が皆そう考えて動くと信じている
だから、そう考える人が嫌だとかも思わない
自分が嫌がられているなんて思わない
勝手に近づいてきて、勝手に変な噂を流されるなんて勘弁して欲しいし、やってられないのに…
なんか得しそう!と群がるのは、子供達も一緒
親がそうなら子供達は当然、親が喜ぶ得々情報を持っていこうとする
結局、自己愛性人格障害者の親も子供も、得々情報を求めて動き、それ以外のものを排除して、その情報が要らなくなったときは、ぽいっとすてるのだ
「裏切られた」なんて騒ぎ立てられても迷惑
一緒にご飯を食べたくない人が多すぎるかも
食べ物は体に入る物
基本的に好き嫌いの多い人は、寛容ではない
気難しいというか、人間に対しても好き嫌いが多い
新しい食べ物にチャレンジしない人は、保守的で、新しい事にもチャレンジしない
だから、好き嫌いの少ないうちの家族は、好き嫌いの多い人とご飯を食べることを不快に思う
そして、栄養バランスをなんとなく気にしながら作っているご飯を生まれてからずっと当たり前に食べていると、片寄ったバランスの食事をすると、足りないものを欲する体が出来上がる
だから、バランス良く食べれば美味しく満足のいくご飯だと頭が認識する
結局、あまりにもバランスの崩れた食事を取っている人が横にいると、何だか気分が悪くなる
でも、今や給食で好き嫌いがあまり無い子なんて少ない
食べに行っても、変な注文をする人も多い
持ってくるお弁当も、どこまでも炭水化物なんて事も多い
一緒にご飯を食べに行けそうな人がいないな
他人の家庭の食事なんてほとんど見たこと無いけど家庭の食事って思ったよりめちゃくちゃなのかもな
おうちのご飯って、どうなってますか?
頑張って作らないとバランスが取れないとか、頑張って食べないと健康的にならないなんて、本当にしんどい
作る方も食べる方も楽してバランスを取る方法があると思います
楽しんで、楽して、美味しいご飯を食べる生活を目指してみても良いのでは?
めげない自己愛性人格障害者
自己愛性人格障害者って、凄い
グループ内をめちゃくちゃにするくらいターゲットとやり合うのに、その後すぐにターゲット以外の人とは何事も無かった様に話し出す
「こんにちは~」の声が…あそこにそのテンションで話しかけれるんだと内心いつも思う
まず、やり合って最終的に自己愛性人格障害者に否が有ったと認めざる終えない時は、その出来事の記憶を心の奥底のもう取り出す事が出来ない所に追いやる
でも、周りは大人
そんなにけちょんけちょんには潰さない
曖昧に穏便に事を終わらす
すると、自己愛性人格障害者は「自分は悪くない」という結論に達している
そこにいる誰もが、自己愛性人格障害者がいなければ、事は上手くいっていたはずだと確信しているにも関わらず、本人は否が無いと信じている
なんなら「ターゲットが悪いけど謝ってこない最低な奴」とさえ思っている
だから、周りの人とは今まで通り普通に話が出来るのだ
周りの認識とまるで合っていないのに、その認識のズレが全く埋められないから、誰もが自己愛性人格障害者の声かけに気分を害しているにも関わらず、それすら気がつく事はない
よくめげないな~
なんて思うけど、めげない訳じゃない
気がついていないだけ
知らないだけ
周りは大人な対応を取る事で、いざこざを回避しようとしてストレスを溜めるが、本人が気がついていないのだから、あまり意味が無いし、ストレスを溜めるだけのつまらない気遣いなのだ
そういう時はどうするか?
私だったら、近くに来たと気がついたら目も合わせずそこを立ち去る
他の人に声をかける
しゃべりたくない事をあからさまにはしないが、自己愛性人格障害者より優先がすべき所が沢山あるから無視をする
とにかく、要らぬ気は使わない
だって、嫌なんだもん
自己愛性人格障害者は「愛想が悪い」とか「無視された」とか「挨拶が無い」なんて、あまりにも恥ずかしくて人には言わない
ご自宅では子供や夫に話しているかもしれないが、無視されたなんて、自分がバカにされた事は絶対に口外しない
あの人達に気を使っても、精神的にすり減るだけだ
周りから何を言われても自分がちゃんと立っていれさえすれば、気を使う必要なんて無い
「転んでもめげない自己愛性人格障害者」なんて、パンチが効かない何だか不死身の不気味なイメージだが、実は「転んでいないし気がついていない公園で喧嘩した4才の子供」みたいなものだ
翌日はケロリとしてまた遊ぶし、謝った方が良さそうなら謝るけど、またすぐに遊べると思っている
4才なら嫌だったら近づかないのに、4才なら挨拶もしないのに、大人は偉い!
なーんて、周囲がぶつぶつ言っているのを聞きながら思う
私の回りには自己愛性人格障害者が一人じゃないし、あっちこっちから取り巻きがくっついて来るから、ほんとやんなっちゃう
まあ、かなり愛されなきゃ居残れない世界なのか、自己愛性人格障害者で長くいるかどっちかなんだろね
外からの見極めは意外と難しい