めげない自己愛性人格障害者
自己愛性人格障害者って、凄い
グループ内をめちゃくちゃにするくらいターゲットとやり合うのに、その後すぐにターゲット以外の人とは何事も無かった様に話し出す
「こんにちは~」の声が…あそこにそのテンションで話しかけれるんだと内心いつも思う
まず、やり合って最終的に自己愛性人格障害者に否が有ったと認めざる終えない時は、その出来事の記憶を心の奥底のもう取り出す事が出来ない所に追いやる
でも、周りは大人
そんなにけちょんけちょんには潰さない
曖昧に穏便に事を終わらす
すると、自己愛性人格障害者は「自分は悪くない」という結論に達している
そこにいる誰もが、自己愛性人格障害者がいなければ、事は上手くいっていたはずだと確信しているにも関わらず、本人は否が無いと信じている
なんなら「ターゲットが悪いけど謝ってこない最低な奴」とさえ思っている
だから、周りの人とは今まで通り普通に話が出来るのだ
周りの認識とまるで合っていないのに、その認識のズレが全く埋められないから、誰もが自己愛性人格障害者の声かけに気分を害しているにも関わらず、それすら気がつく事はない
よくめげないな~
なんて思うけど、めげない訳じゃない
気がついていないだけ
知らないだけ
周りは大人な対応を取る事で、いざこざを回避しようとしてストレスを溜めるが、本人が気がついていないのだから、あまり意味が無いし、ストレスを溜めるだけのつまらない気遣いなのだ
そういう時はどうするか?
私だったら、近くに来たと気がついたら目も合わせずそこを立ち去る
他の人に声をかける
しゃべりたくない事をあからさまにはしないが、自己愛性人格障害者より優先がすべき所が沢山あるから無視をする
とにかく、要らぬ気は使わない
だって、嫌なんだもん
自己愛性人格障害者は「愛想が悪い」とか「無視された」とか「挨拶が無い」なんて、あまりにも恥ずかしくて人には言わない
ご自宅では子供や夫に話しているかもしれないが、無視されたなんて、自分がバカにされた事は絶対に口外しない
あの人達に気を使っても、精神的にすり減るだけだ
周りから何を言われても自分がちゃんと立っていれさえすれば、気を使う必要なんて無い
「転んでもめげない自己愛性人格障害者」なんて、パンチが効かない何だか不死身の不気味なイメージだが、実は「転んでいないし気がついていない公園で喧嘩した4才の子供」みたいなものだ
翌日はケロリとしてまた遊ぶし、謝った方が良さそうなら謝るけど、またすぐに遊べると思っている
4才なら嫌だったら近づかないのに、4才なら挨拶もしないのに、大人は偉い!
なーんて、周囲がぶつぶつ言っているのを聞きながら思う
私の回りには自己愛性人格障害者が一人じゃないし、あっちこっちから取り巻きがくっついて来るから、ほんとやんなっちゃう
まあ、かなり愛されなきゃ居残れない世界なのか、自己愛性人格障害者で長くいるかどっちかなんだろね
外からの見極めは意外と難しい