自分が否定されたと思う時、本当に否定されているのか?って結構微妙だなと思う
もちろん、自己愛性人格障害からのマウンティングや人格否定は本当に否定されていると思うんだけど…
例えば、AとBしか選択肢が無いと思っている人にCの選択肢を引き出してもらおうとした人が、「AとBはちょっと無いな」と言ったとしたら、言われた方は「私の考えは全て否定された!」と思ってしまうことは実は沢山あるのかも
でも、それが「きっとこの人はCの選択肢を導き出せるはずだ!」と期待したからこその言葉だったとしたら、残念な感じかも
「嫌だ!」とただ断っただけでも、もう何をしても嫌な場合もあれば、「それは嫌だけど、他なら良い」って場合もある
それを、「全て否定された!」ととる人もいるだろうし、そこで自分のやったこと以外を模索する人もいる
「違う!」とか「嫌だ!」とか「ダメ」と言った方の言葉足らずもあるかもしれないが、受けとる方の問題もあるんじゃないかと思うので、お互いのコミュニケーション不足
自己愛性人格障害者のマウンティングかその人を思った人の期待しての言葉かの違いなんて紙一重かもしれないけれど、そんな事もあるよねって思って人の言葉を聞けば、もう少し相手の言葉を受け入れる事も出来るのかもしれないなと思います
結局は何でも自分の思い一つです
受け入れてもらえないって思っている時は、本人が一番そこに飛び込む気もないのです
否定されていると思っていても、相手のやり方を否定しているのは実は自分かもしれないです
投影ですから
ちなみに、自己愛性人格障害者の場合はそこでどんなにコミュニケーションをとろうと思っても、相手が折れない限り一歩も引きません
相手が間違えてたと謝るまで、相手のせいにし続けます
一歩引いたら攻撃してくるし、引かなくても対立してくるそんな人達と上手くコミュニケーションをとる方法ってあるのかな?
最後はちょっぴり愚痴でした