心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者がよくする人格否定ってなんだろう?

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人格否定って言うけれど、実際どんな感じ?って思いません?

具体的に「人間じゃねえ!」みたいのが人格否定って感じだけど、本当はそんなんじゃないと思っています

例えば、苦労してやった事を「意味がない」って言われるのも人格否定だと思うんです

明らかにちんぷんかんぷんな事や時間をだらだら過ごす行為は、言われても仕方ないのかもしれませんが、相手の意図に添ってやった事を否定されるのは、人格否定に当たると思います


カレーを食べたいと言った相手の為にカレーを作ったら「鶏肉のカレーなんてあり得ない!カレーと言ったら牛肉に決まってるだろう!こんなもの食べられる物じゃない!鶏肉のカレーなんて食べる奴は育ちが知れるわ!」なーんて言葉を言われたとしたら、立派な人格否定かな

迎えに来てと言った相手を迎えにいったら、3分位遅れてしまったとする
「時間に間に合わないなんて迎えに来る意味もない!なんで混んでいるって分かっているのに早く出ないんだ」なんてのも、予測して動けないお前はなんて馬鹿なんだって感じがする

「そんな事も分からないのか?」とか「幼稚園児でも知ってるわ」とかも人格否定

故意じゃないけど忘れちゃった事に対して「そんな事を忘れるなんてあり得ない!」とか言ってしまうと、人間としてあり得ない失敗だ!って言っているみたいで相手は傷つく

人間だから、言ったことも忘れちゃう事はある

ちょっとそれは無いだろうって思う事はあるかもしれないけれど、それを忘れちゃう位その人の頭の中がぐちゃぐちゃだったのかもしれないなって思ったら、そこでまたコテンパンにやられたら、可哀相かもしれないです

故意の失敗じゃない場合は、ある程度仕方がないと思って言葉を発しないと、相手を物凄く傷つける事になるなって思います


自己愛性人格障害者達は、失敗した相手を否定して、自分を保っています

相手の失敗を誘発する様に、自分を一番に優先するのが当然だと相手を常に急かしながら指示をだし、相手の失敗をここぞとばかりに突いて人格否定をして、やっぱり自分は周囲の人間とは違う出来る人間だなあと思って知らしめて生きています


自己愛性人格障害者にとって人格否定はただの注意でしかないのです

出来ない相手に常識的な人間に育ってほしいという思いで言ってあげていると信じていますから、人格否定と言われても寝耳に水なんだと思います


何言ってんだ!って流せればいいんですけど、何度も言われるたびに「あー、牛肉のカレーを常識だと知らなかった私が常識知らずだったんだわ、悪いのは私で相手が怒るのは当然だ」なんて思ってしまうかもしれないです

「常識を知らない私にこの人は常識を教えてくれている」と思ってしまったり、「私って非常識な人間なんだ」と思ってしまうと、自己肯定感も下がり、家来みたいな状態になってしまうのかもしれません

案外日常的に人格否定ってされてません?

何言ってるんだ?って思える自己肯定感の高さを身に着けないといけないとは思いますが、難しいなと思います