自己愛性人格障害者といると焦っちゃう仕組み
自己愛性人格障害者には、自己愛性人格障害者特有の言い分がある
それは、グループでも家族でもそう
自分の選んだ道は当たり、それ以外の道はハズレ
だから、ハズレを選ぶのはおバカ
そんなハズレの道を自分の評価に影響してくるアクセサリーである家族が選ぶ事なんて許されない
そもそも人間の選ぶ道にはハズレの道なんて無いだろうと私は思っている
回り道してもその回り道にも意味があるのかななんて思う
なのに、回り道はハズレ
違う意見ならまだ気に食わないってのも分かるけど、例えばそこで考えて迷う事さえハズレなのだ
立ち止まる事は、自己愛性人格障害者の選択肢にはそぐわないのでハズレ
それしか正しい道が無いからやらせるしか無いと自己愛性人格障害者は信じて、動かない相手を今すぐ正しい道を歩ませる為に首根っこを掴まえてやらせるしか方法がないと思い暴力をふるう
その待ったり悩んだりする時間を、別の選択肢と思う事こそが自己愛性人格障害者がせかせかとする理由で、なおかつ、周りが焦る原因なんじゃないかと思う
どういう事かというと、自己愛性人格障害者と関わる人達は、自己愛性人格障害者の正解をその場で即座に判断して動かなくてはならないプレッシャーがかかる
そんなプレッシャーを自己愛性人格障害者は常に掛けている
それなのに、その正解は一貫していない
誰かの一言で明日には一転してハズレになるかもしれない回答
難題過ぎて私には解けないかも
だから、自己愛性人格障害者やそれに関わる人達は、具体的な回答を避ける
「言わなくても分かるだろう?」とか「気がつけよ!」とか言いながら明言を避ける
短時間でピンポイントの答えを出す事を要求して焦らせ、テンパってる相手の最大限の意向を受け取る
だから、自己愛性人格障害者に関わると、なんだか焦るし、相手の言葉を相手の中の評価に合わせながら受け取らなきゃいけないし、当たりかハズレの確認もしなきゃいけないし、かつ、すぐにやらないといけないので疲れるのかもしれない
しかも、こんなに自己愛性人格障害者からの要求が多いのに、本人が要求している事をこれっぽっちも気が付いていない
あくまでも、正解を教えてあげている
パッパと動くのは、正解だから自己愛性人格障害者にとっては当然となる
偉くもないし褒める事もない
感謝もない
殴るのも強い口調になるのも、正しい事をさせてあげるのだから、相手をステキに導く指導
感謝してもらわなきゃ!と思っている
こんなに自己愛性人格障害者の思いを考えてやってあげたにも関わらず、自己愛性人格障害は何かをしてくれた人に感謝するのではなく、自分が導いた事を感謝されるべきだと思っている
対応する方としてはちぐはぐで、はあ?!って思う
もし、外から虐待やパワハラの指摘を受けても「躾が行き過ぎてしまった、叩いたのは悪かったけど…」というのは、こんな理由なのかもしれない
日常的に暴力で片付けていても、それが虐待だなんてあり得ないし、そんな事を言われても青天の霹靂なのかもしれない
そう考えると、あのせかせかした印象や他人を焦らすプレッシャーの掛け方の理屈はよく分かるのかもね
あなたとは違う人間なので、自分で考えます
忖度なんて知りません!って思って接していれば良いだけだと思いますが、案外難しいかもね
ちなみに、これに育てられた子供達
毎日ママやパパの正解を探しながら、せっせと動いているのです
そりゃー、反省分も書くしママの気に入らない人に意地悪もします
物も隠すだろうし、嘘もつくでしょう
ママに褒められたい!なんてそんな軽い物じゃないんです
ママの正解をすぐに出さないと大好きなママの近くにもいれないのかもしれないです
生きるか死ぬかの瀬戸際を毎日歩いているのです
年齢にそぐわない行動でも、どんな事でもやるしかないのです
自分では何も考えられなくなるのです
自己愛性人格障害者がいないと生きていけなくなるのです
よくやるなあ〜
偉いけど同情はしません