心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

沢山の事に気が付いてしまう人が穏やかにいるには

f:id:pilatesno-1:20210219202713j:plain
HSPって言うのかな?

私はそういうくくりに区分する必要は無いと思うんだけど、わかりやすく言うとそういうくくり

まあ、世間一般よりも色々と細かい事が見えてしまう人達

大きく言えば、霊とかオーラとかが見える人たちも含めて、他の人よりも気が付くことが沢山ある人達は、一つの事を見ても目や耳や匂いや感触や心が沢山の情報量を受け取ってしまう


一つの出来事でも、頭の中は大忙しなのだ

そんな人たちは自分のキャパオーバーになる情報を受け取ると、パニックを起こしたり、フリーズしたりする

それは、全然穏やかな状態では無い

じゃあ、人間とかかわらなきゃいいんじゃない?って思うけど、人間は一人では生きていけない


最近、人とのコミュニケーションを取る事が生きるってことなのかななんて思う


もちろん、コミュニケーションが苦手な人もいるし、そもそもの基質で上手く出来ない人もいるけれど、コミュニケーションが上手く取れないって、発達障害とか精神的な障害とかで、そうじゃない人でコミュニケーションを日々取れない人なんてあまりいないのでは無いかと思うんです


だから、入ってくる膨大な量の情報が目の前に常にある状況って、そうそう変わらないし、情報をシャットアウトして誰にも会わないなんて事をしても、もしかしたらもっと感覚は研ぎ澄まされたり、コミュニケーションを取らない事で精神的に崩れたりするのかもしれない

もしかしたら結局鬱になるかも


じゃあ穏やかに過ごすのはどうするの?って考えてみました


入ってくる量は決まっているなら、その情報の片付けはしなきゃいけない

自分の現状の処理能力の把握と入ってくる情報量の把握はしないといけない


その上で、人と会う人数をコントロールしたり、相手を選びながら、自分の処理スピードを上げていくのがいいのかもしれない

相手によって、処理しなきゃいけない情報量は違う

素直な人の裏は見なくてもいいけど、裏表がある人だと、裏も表もその裏も情報として受け取る

そんな人が何人もいる事が今の自分にとってかなりのキャパオーバーになってしまうなら、その人が自分に関係して来ないところまで離れればいいのだと思う

情報量が自分のキャパの範囲内なら、結構穏やかになるなかななんて思う


新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が出てる今の社会では、人との距離をかなり取る

おまけに家族以外の人に会う人数がかなり制限されている

自分の処理能力を小さなところから試せるいい機会なんじゃないかと思うんです


もちろん、一人でも物凄いしんどい人はいるし、むしろそのしんどい人としかいれない場合もあるけれど、もし一人でも難しいなら、その人とはこれを機会に離れる選択肢もあるかもしれないです

人間関係に疲れる人は、どちらにせよキャパオーバーなんだと思います 

自分のキャパを確認しながら、ゆっくりと処理能力を上げていって居心地のいい穏やかな生活を過ごせるように、この外出制限を使ってみたらいいのかもしれないです

ちなみに、これは新型コロナウイルスに対する社会の対応にも言えるのかも

もう既にキャパオーバーだろうけど、本当は人数が少ないうちに、処理能力を上げて流行が来る時にできるだけキャパオーバーにならない様にすれば、世の中は平穏でいられるのかもしれません


何事も、現状把握が大切だと思うんです

現状把握が出来ないと、いらない心配もしなきゃいけないし、不安定な土台に立ちながら未知の未来への備えもしなきゃいけない

現状の把握が出来ていればこそ、後どれだけ余裕があるのか分かるのです


今の日本の社会は、現状どこ位の患者数がいるかも把握せず、国のキャパも分からない

もう不安だらけ

それに加えて、全く自らの現状把握が出来ない自己愛性人格障害者が自分の現状が分からないまま、未来もあやふやで不安ばかりを口にする

これじゃ、未来を見て備えも出来ないし、何がどの位必要かも分からない

血迷って布マスクとか配布しちゃうし、人に言われて発言も変わっちゃう


なんだか分からないけど突然お菓子とか配っちゃう自己愛性人格障害ママみたい

話はそれましたが、いい機会なのでこの静かなステイホーム時期を上手に使って充電してみようかな