心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

その人は本当に悪いの?

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「悪い事をしている見つからない人と、悪い事をして捕まった人と、どっちが悪いの?」って質問を投げかけると、「捕まった人が悪い」って答えが返ってくるだろう今の日本

 

なんか違う

   

悪い事をして捕まって頑張ってやり直そうとしている人には犯罪者の偏見で冷たく接するのに、悪い事をして隠すのに疲れて自分で自分を追い込んで自殺した人を何も知らずに皆で讃えちゃったりする

 

そりゃー知らないんだから仕方ないじゃん!って言う人の気持ちも分からなくはないんだけど、だからこそ人って見た目や噂や肩書きや過去の事や功績だけでは分からないなって思うんです

 

自分の目の精度をあげたり、コミュニケーションを上手にとったり、人を信じたり、変な人が近づかないような自分になったりすることが大切なのかなって思う

 

人は、見えるところが全てではない

 

どんなに事細かに情報を集めても、それはやっぱりその人の極限られた一部の情報でしかない

 

そして、その人全てを分かる人なんて本人も含めて誰もいないのだ

 

だったら、もっと情報を適当に捉えても良くない?

 

悪い情報もいい情報も、それだけでその人全てを否定する物でも肯定できる物でも無いのなら、どうでも良くない?

 

そりゃー捕まったら、悪い事をしたんだろうけど、だからって人でなしのレッテルを張って反省を促す必要なんて無いし、素敵な功績を残した人だからって崇める事もしなくていいんじゃないのかな

 

素敵な人が何か悪い事をしたとしても、素敵な人であることが消えちゃう訳じゃないと思うんです

 

悪い事をする一面も、素敵な一面も両方持ち合わせているのはむしろ普通じゃないのかな

 

「素敵な人は素敵でいる事が、その人を素敵だと思っている人達を裏切らない方法で絶対にそれは守られるべき事だ!」みたいな変な空気ってある

 

随分窮屈だなと思う

 

情報に溢れている社会だからこそ、そこから自分に必要な情報だけをピックアップ出来る処理能力が必要なのに、今の人達の半数以上はきっと何が自分に必要な情報なのかも分からず、情報に埋もれて何もかもが大事に見えてしまっている

 

なんだか分からないから、一番簡単な「他人は良いって言っているか?」「他人の評価は高いか?」「他人が嫌ってるか?」「順位は何位か?」みたいな表に出たわかりやすい評価でしか人や物を見ることが出来ないのかもしれない

 

凄い感性の高い入ってくる情報が多い人間は処理能力を高めないと、頭の中がパンクして精神を壊す

 

今の社会は物理的に情報量が多いので、処理能力が高くない人間にとっては、常にパンク状態なのかもしれない

 

精神を壊す前に、単純な○☓方式で機械的にチェックしてあまり考えていない人達が増えて、その判断材料を提供する人達がまたいるのかもしれない

 

そういう人達って考えが浅いのに、いかにもみたいな意見を言うし、他人の評価だからもちろん多数派を占めてしまうおかげで、とっても窮屈な社会を作り出してしまうのかもしれないな

 

情報社会で情報にばかり因われていると、情報に飲み込まれてしまうのかもね

 

究極ですが、いい人か悪い人かなんて、自分と関わりのある人の関わりのある部分だけで充分じゃない?

 

それ以外の人の情報は、参考資料程度でしか無いんだから、そんなに目くじら立ててギャーギャー言わなくてもいいのになって思います

 

悪い人かいい人かを決めてからいい人だけを選ぼうとすると、いい人の悪い部分を許せない恐ろしい人間になっちゃうかもね

 

既に、沢山いるけど…