心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者がちぐはぐな理由

f:id:pilatesno-1:20210213010220j:plain 自己愛性人格障害者は自分の中で「これがステキ!」っていうものが無い

自分のいいと思うものなんてよく分からないのだ

洋服は本当に分かりやすい

自己愛性人格障害者が50才だったとする

そこに20代のセンスのいい人が現れるとする

周りが「あの人はとってもおしゃれよね」とこぞって言うと、自己愛性人格障害者はその20代の人の服装を真似る

でも、50才がいくら上から下まで真似をしても20代の服装はやっぱりちょっぴり無理がある

自己愛性人格障害者はその年齢の違いに気がつかない

自分がいいと思っている物がなく、常に他人の評価を基準に生きているからセンスがあると言われる服の組み合わせが重要であって、着ている自分はあまり関係ないからだ

洋服は着ている人の成りなのに、自分の意見に自信がない

全て同じ服なんてなかなか売っていないから、何となくの真似

場所を考えたり、年齢を考えたりすることも出来ない

だからなんだかおかしい

新しい目標が現れると、今まで着ていた服が突然ガラリと変わる

しかも、持っていたバッグはそのままだったりする

その時見本にした人の洋服に中途半端に変えるものだから、年代によってスポーティーな物からガーリーなものまでとにかく幅が広い

とても同じ人のセンスの服ではない服や持ち物が混在するので、それが違和感になるのかもしれない

お金かけても全く芯がない

これが、しゃべり方や性格や生活までありとあらゆるところで起こるのだ

ちぐはぐ過ぎて、かなりおかしいけど、それを個性と思ってくれる人もいるのかもしれない

ちぐはぐか個性的か?

まあ紙一重かも

方や真似されたということは、周囲が素敵と思ってくれたり周りが評価してくれたって事なんだけど、そのうち「あんたが真似してきた!」とかいちゃもん付けてくるから質が悪い

素直に「あの人が素敵だから真似しちゃった!」って言えば可愛いのに、それを言うとその人に負けたことになるから無理なんだろう

勝ち負けへのこだわりと、自分の意思のなさ

生き方に意思が無い人なんてつまらないけど、生き方に意思が持てないほど、自立させてもらえなかった幼少期だったのかなと思うと、親の依存度と子供の不幸せが垣間見れてちょっぴり気の毒かも

近くにいたら毒でしか無いけど、そんな人達が増えてる世の中をどうすればいいかなんて分からないし、ちぐはぐな人達の攻撃性がやっぱり恐ろしいな~