心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の存在は自分の中の病気に似ているかな

自己愛性人格障害者は、世の中にうじゃうじゃいる

 

逃げ回って生きていけるほど日本は広く無いし、どこに行っても必ず出会う人間の種類の一つ

 

もはや、自己愛性人格障害者無しではこの日本?世界?は成り立たないのかもしれない

 

もしそうだったら、共存していかないといけないよね

 

どうやったら、自己愛性人格障害者と自分の距離を維持して、自分が穏やかに生活出来るかを考えたい

 

同じ様に、自分の体に障害があったり、病気を抱えたりした時に、もちろんガンみたいに切り離せれば切り離したいけど、もしそれが出来ないのなら、それをどう位置づけながら生きていくかを考えないといけないのかも

 

今ある環境や今ある体をちゃんと見て把握して、その中で自分のいい加減を見つけながら共存していかないといけないのかもしれない

 

きっと、邪魔な物を排除する事だけが、正解ではないはずだ

 

辛い現実も悲しい出来事も見たくも無い人も自分とは別の世界の物だと目を背けたくなってしまうけど、それと向き合う事は必要な事なのかもしれない

 

一度そこにどっぷりと浸かってしまう事も、もしかしたら、上手な距離を取る方法を見つけるためには通らなければいけない道なのかも

 

悲しい事も辛い事も言いたい事を山ほど言って、山ほど泣いて悲しさにどっぷりと浸かってしまう事が、そこから前を向くために通らなければいけない道なのかも

 

心が折れそうな時、今から前を向けるのかなんて分からない

 

でも、前を向いて歩いていかなければいけないのなら、今のしょうもない自分や何も出来ない現実さえも前を向いて歩くには必要な時間だと信じて受け止めて行かないといけないのかななんて思う

 

それにしても、現実は思ったりより残酷だな

 

これほど行けども行けども立ちはだかる壁を乗り越えるような人生が、私には必要なのかな?

 

まだまだ日常の幸せを感じ足りないということかな?

 

見た目と真逆な希薄で人間不信の塊のような私が、ここまで穏やかになるためには物凄い壁を越えなければいけなかったのは分かるけど…

 

そのうち、悟りが開けそう!!