心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

本音を話せる人がいるのも結局は自分の問題

私には、辛い事を全てさらけ出して話せる人が何人かいる

 

親がその役目をしてくれる人もいるのかもしれないが、私は親との距離が上手く取れずちょっぴり難しい

 

私は今まであまり親に助けを求めることはなかった

色々あってずっと強くいなければとどこかで思っていた

 

だから、今までの色々な困難が起きない限り誰かに頼ってもいいと自分に言ってあげられなかった

 

自分一人ではとてもとても片付けられない問題が起きてこそ、この人達に出会えたし、自分が人に頼ることを許せたのだと思う

 

本当はこの人達に出会えた訳ではなく、私の周りには助けてくれる人が沢山いたにも関わらず、私が受け入れて来なかっただけに過ぎない

 

 

私の話しやすい人は全て他人

 

若い人でも10才は年上、母親のような存在の同性

 

これはやっぱり、同性の価値観は同性にしか分からないという事だと思うのだが、どこかで親を求めたのかもしれない

 

苦しい事も、辛い事も、泣きながらでも話が出来る

 

そんな人がいるのって幸せだし、自分をさらけ出して話しても受け入れてくれるって自分が思えることが本当に幸せだ

 

でも、もしかしたら私はこれを親としなければいけないのかもしれない

 

そのために今この大きな壁にぶち当たったのかもしれない

 

他人にさらけ出せる幸せは、私が親と向き合わなければいけない困難を乗り越えるためのステップだったのかもしれない

 

だとしたら…諦めた親という存在を現状で受け入れる時が来るのかもしれない

 

いつか親が何でも話せる存在になるのか??

 

そもそも、親に何でも話す人っているのか?

 

そんなの幻想なのかもしれないけれど、せめて親として頼る事が出来れば、今よりももっと幸せかもしれないな