心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

食育なんて豊かな国では難しい

f:id:pilatesno-1:20210210205251j:plain食育なんて言葉が私はそんなに好きではない

 

わざわざ定義して教育としてやらなきゃいけないのか?って思ってしまう

 

食育、教育なんて名前をつける事で生活から切り離してしまう人がいるのではないか?なんて思ってしまうから

 

食事をすることは、生きていく事

 

体は口から入れたものから出来ている

 

逆にいえばそれ以外のものからは出来ていない

 

あっ、点滴で生活している人も稀にいるけれど、基本は食事

 

自分の体を形成するものに興味が湧かないなんて、なんて不幸せな事だろう

 

好きなものが体にとって有益ではないものだったりしてしまうなんて、なんて面倒な事だろう

 

そもそも、子供の性格も食事も全て生まれ育って来た環境に大きく左右される

 

遺伝といわれる事は沢山あるけれど、遺伝は環境こそ無ければ受け継がれるものは少ない

 

ここで取り上げる自己愛的な考え方は、必ずその人を作り上げた親がいる

 

それと同じように、好みを作る親がいる

 

だからって全てが親のせいではなく、自立してもなお自分を見つめて来なかった自分のせいでもある

 

自立の時期を遅らせれば遅らせるほど、親の影響は大きく出るのかもしれない

 

ところで、人間は動物だ

 

究極は、体が欲してるものを食べれば生きていける

 

ただ、これは自分の動物的感覚が機能している場合に限る

 

今の世の中、食べ物が溢れているし、加工した美味しい食べ物ばかりだから、動物的感覚なんて大抵麻痺してる

 

自分の体の声を聞けるほど、研ぎ澄まされた感覚を持てる人なんて少ないかもしれない

 

なのに、食べ物に無頓着で幼少期に偏った食事をしてきた人が「体が欲してる物を食べようと思う」なんて言葉を口にする

 

食育と言わなければ意識も出来ない豊かな日本が、貧相に見えた

 

私は食べることが大好きだ

 

そして、お野菜が好きだ

 

我が家の食費は野菜と果物にほとんどが消えるかもしれない

 

ビュッフェとかにいくと、馬の様にお野菜を食べる…

 

もちろん、野菜だけを食べていればいい訳ではないけれど、野菜が食卓に上がる量が少なくないですか?

 

子供達がお友達のお弁当を見てびっくりする

 

夕食の事を友達と話して衝撃を受ける

 

給食の時間に食べれない物が多い周りを見ながら、美味しくご飯が食べれないと嘆く

 

きっと豊か過ぎるのだ

 

豊か過ぎて、感謝が無いと、無頓着になるのかもしれない

 

排他的になるのかもしれない

 

食べ物を捨てる事も気にしない

 

食べ物が何で出来ているかも感じない

 

食べ物を誰が作ってくれているかも気にしない

 

そして、自分のお腹を満たせばなんだっていいと思ってしまうのかもしれない

 

その上に立つ「自分の体が欲している物」なんて、体にとってどれほど有益なのか?

 

あー馬鹿らしい

 

いくら頭が良くたって???頭が良くないのかな??

 

もしかすると、感謝出来ないって頭が悪いのかも

 

幸せバカだもの

 

幸せも豊かさもどっぷり浸かるとなんにも感じられない

 

何日も食べられなくても、周りに食べ物があれば、食べられない自分が悲しいし、食べれる皆が羨ましいだけで、感謝する事はなかなか出来ない

 

何でもあるって、幸せじゃない

 

食育だって、実はそんなところにあるのかもしれない