哲学的思考?
「哲学的思考」かなりカッコいい言葉じゃない?
私の頭の中はこの言葉がハマりそう!!
自分で言っておいてなんだけど、そんなにカッコ良くは無いか
私の頭の中、柔らかいイメージを自分ではしてると思っているけど、硬いか…
なんだろう?って考えるのは哲学らしい
そういえば、小学生の頃、哲学の本を読んでいた
今考えるとそんな子なかなかいないよねって感じだった
ピッカピカの広辞苑が大好きだった
見てると眠くなるから
枕にしてた
寝れなかったから…
色々考えるとしんどかったから…
居場所が見つけられなかったから…
幸せってなんだか分からなかったし、家族もなんだか分からなかった
愛情もどこにあるのか分からなかったし、無償の愛も信用もどこにも無かった
でも、今なら分かる
共感性のない家に共感性がある子が生まれるのは難しいかったのかも
親も兄弟も関係なく、思いを全て引き受ける事になってしまったんだと思う
物心ついたら子供なのに家の中では親だったのかも
気がついたらずっと、甘えられる立場
物質的には満たされてるのに、幸せがどこにも見つけられなかった
でも、あの頃がなければ、今ギャンギャン甘える子供や夫を見て幸せだと思う事は出来なかったかもしれない
子供が親のせいに出来るのも、夫が妻のせいにするのも皆甘え
甘えられる人がいるなんて幸せだ
私は家族にはあまり甘えないけれど、今は周りに甘えられる親みたいな人が沢山いて、泣きながら電話出来る人が選べる
親には共感してもらえないけれど、お陰で親みたいな人が沢山出来た
ほんと、幸せだ
そ、幸せだと感じる事が出来るのは、幸せでは無い時があればこそ
居場所があると思えるのは、居場所が無かった時があればこそ
仲間がいる事に気がつくのも、仲間がいなかった時があればこそ
人に分かって貰える事に安心を覚えるのも、誰にも分かって貰えなかった時があればこそ
元気が一番と思えるのは、元気では無かった時があればこそ
そして、命が大切だと思うのは、命が儚いと知ればこそ
小学生の時はよく分からなかったけど、ずっと頭の中は哲学的思考
嫌な事を何度も頭に巡らせても、時間が勿体無いし、意味がないから、嫌な事を全て書き出して、それ以上考えない様にしようとした
大嫌いを何度も思っても、嫌いな人で頭の中が覆われてしまうだけ
自分一人で家族の不安を請負ながら維持するために、自分でコントロールする方法を探した
未来の自分のためだけに、自分の時間を使えるように親の思いを書いて捨てた
そして、親のせいにしないで自分のせいにして生きていこうと決めたのだ
でもやっぱり、家族からかなりの影響は受けているし、かなり親には助けて貰えてる
経済的に支えてくれた事は事実だし、どんな家族でも、家族がいた事には感謝だ
ただ、ちょっと偏っていたから、親の役割をもう少しして欲しかったと思い寂しかったのだ
他人で埋めてみようと思って色々やってみたけど、結局他人なんて不確定要素で埋めるのは無理なのかもしれない
今はこのブログが自分の中のお気に入り
全部キレイに片付けてくれて、子供の頃の寂しさも埋まって、親が私の親を上手に出来なかった理由も理解出来て、かなり色々認められる様になったかも
親も、虐めた加害者も許せなくていいと思います
でも、存在があるのは事実
あるものを無いと思うのは、変だからあるものをあると認識してもいいかもしれません
哲学的思考
結構良いんじゃない!って思います