心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

HSPとかエンパスとかと自己愛性人格障害者

f:id:pilatesno-1:20210306002801j:plain 私自身もたぶんHSPとかエンパスとかそんな部類には入るのだろうけど、感受性と共感性の強いこの手の人達は、自己愛性人格障害者のターゲットにはなりやすい

自己愛性人格障害者(察知してほしい人)とHSPとかエンパス(察知できる人)の組み合わせなんだから当然かもしれない

他人との境界線が曖昧な人同士、ちょうどいいのかもしれないが、利用する人とされる人の関係では、自己愛性人格障害者の食い物になって終わってしまう人生だ

そうならないためにどうすればいいのか?

自分を知って、自分の境界線がどこかをキチンと把握することだと思うんです

他人の境界線はその人によって違うけど、自分の境界線は自分自信なので変わることはあまりありません

自分の思いがどこにあるか? 自分が好きか嫌いか? 自分が心地いいか? 自分が楽しいか?

なんてところを、ちゃんと突き詰めると、自分の境界線より外に出ている思いなのか?自分の思いなのかも分かるようになる

他人の思いだと分かったら引き受けるのは程々にする

隣で他人がイライラしていても、それはその人の問題

私が悪いと言われても、他人のイライラは私が悪いわけではない

遅刻して相手がイライラしていても、実はそのイライラは遅刻した人のせいではない

遅刻された方が、遅刻した相手に遅刻しないことを期待して、その期待にそぐわない行動をしたため自分の期待通りの行動をとらない事に頭に来ているのだ

そのイライラに関わるのではなく、遅刻したことだけ謝って放っておけばいい

気分が悪いとか引っ掛かるなあと思ったときは、その原因を見つければいい

気持ち悪い相手が何を人に背負わせようとしているのかを見ればいいだけなのだ

これだけで、自分を好きでいれて自己愛性人格障害者のカモにならなくて済む

でも、難しい

そう、そこを変えるのは本当に難しい

中途半端に変えてもなかなか対応出来ない

気付く物を気がつかないようにすることなんて出来ないのだから…

どうせやるなら、見なかった事にするのでは無くて、とことん見てしまう作業をする

気がつく事を生かすには、とことん気付いてしまうことなんだ

自分の得意不得意と共存していく事って、そんな感じなのかもしれないなと最近思う

自己愛性人格障害者が周りに多いこの世界で私が生きていくことで、出来ることが増えていく

ずいぶんと激しい環境に置かれたものだと思うけど、お陰で生きていくのが楽になったかも

中途半端に居心地のいい場所は、成長しにくいかもしれない

居心地最悪な場所の何がそんなに居心地が悪いかが分かれば、自分自身でその場所の居心地位には変えられるのかもしれない

まっ、今の周囲が居心地いい訳ではないけどね