心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者だらけの世の中でどう生きていく?

f:id:pilatesno-1:20210215215838j:plainDVやモラハラや虐待や体罰で相手に怪我を負わせて捕まる人なんて自己愛性人格障害者のピラミッドの頂上部分にいる極わずか

 

ほとんどが家族の問題から抜け出る事もなく、表に出ず被害者である子供やパートナーの心も体も傷つけガンガンと心を殺していく

 

私の体感だと、自己愛性人格障害的な考え方の人なんて今や世の中の半分以上

 

もしかしたら、70%位のイメージです

   

自己愛性人格障害者や自己愛性人格障害者的な考え方の人を排除しようとしてももはや無理

 

そして、捕まえたからってその人の暴力が治ることなんて無い

 

カウンセリングしたって、そうそう治らない

 

そしてそして、自己愛性人格障害者のターゲットになったら逃げなきゃいけないといえども、全ての自己愛性人格障害者から逃げながら生活するのももはや無理

 

傷つけられたくなかったら外に出ないで引きこもるしかない

 

発達障害とか人格障害とか昔に比べて診断のつくものがどんどんと増えているけれど、診断がついたところで治るわけじゃない

 

この手の障害も身体的な障害も全て、普通の社会から排除して隔離してその人達の居心地のいい場所を作ってあげることが正解じゃないのでは?と思うのです

 

今の社会はまさにそんな実現不可能な社会を作ろうとしているのかなと思います

 

どう対応するか?

 

発達障害でコミュニケーションが難しい人達は、コミュニケーションを取ろうとしていない訳じゃない

 

「コミュニケーションが取れないから仕方がないよね、可哀想ね、周囲が分かってあげなきゃね」じゃなくて、その人が出来る事を最大限やってもらったほうがいい

 

少しでも喋れるなら、喋ってもらう

 

間違えていても、周囲とのコミュニケーションを絶やさない

 

その頑張りを認めて今ある限りの能力を使っていかないと、どんどんと使えなくなってしまう

 

どんどんと今の能力を使って成長してコミュニケーション能力を上げてもらう

 

待ってあげる

 

そして、その人が出来る最大の力を発揮してもなお足りないところだけに手を貸してあげる

 

それこそが、お互いに対等な関係なのかなと思うんです

 

身体的な障害も同じです

 

「片足が麻痺してるなら、動けないのは当然だよね。お手伝い出来ないよね。やらなくていいよ。」じゃなくて、出来るところは全てやってもらう

 

他の人より出来る事があるのなら、そこで動けない分をカバーしてもらう

 

特別扱いをせず、その人なりの良さや特技を最大限活かしてなお出来ることを増やしていく事が、対等で平等な関係だと思うんです

 

自己愛性人格障害者だって、物凄い能力があります

 

その考え方のお陰で世界一になる人だって沢山いるのです

 

その素晴らしい能力は活かしてもらって、周囲がイライラのゴミ箱にならない少し離れた関係を保っていけば、害はそれほど無い場合も多いのです

 

ただ、ゴミ箱にならない事にも力がいるし、待ってあげる事が出来るのも成長成熟しているからこそなんです

 

中途半端な成長じゃ、根っからの自己愛性人格障害者になんて太刀打ち出来ません

 

あっという間に飲み込まれて、気が付けばターゲットなんです

 

身体的障害者に対してもそうです

 

「可哀想ね」なんて優しくお手伝いしても、自己満足なだけかもしれません

 

身体的障害者を甘やかして、社会生活の厄介者を増やしていくだけで、お互いにいい事は無いかもしれないです

 

生活保護世帯だって、頑張らないでも頑張っても同じ金額が入ってくるなら、わざわざ頑張ろうと思う人はいません

 

どんな人に対してもMAX頑張って初めて手を出してあげるくらいじゃないと、だれも成長出来ないんです

 

どんな障害があっても、性別が違っても、その人の出来る最大限を引き出して、それを認めて、出来ないところをそっとフォローし合えれば、案外金銭的な助けが無くてもやっていける世の中になるんじゃないか?って思います

 

自己愛性人格障害者が増えていくと、目先の損得ばかりを考えて、助けてもらいたい人ばかりでわざわざ助け合おうなんてしません

 

「排除してお金を出して子供みたいな大人を増やして終わり」じゃなくて、どんな人でも全力を出しきれて、どんな人でも役に立てる社会なら、自己肯定感も低くならずに、皆が成長出来る社会に向かえるのかななんて思うんです

 

どんな人でもきっと素敵に輝ける場所ってあると思います

 

何歳になってもきっと成長できるんだと思います

 

もちろん、どれもこれも理想ですけれど…そんな理想なら、厳しくても結構暖かいかもしれないです

 

我が家にもどっぷり自己愛性人格障害者的な考え方に傾いた人がいるのですが、一人でも周囲を感化したりしてなかなか手強いものです

 

甘やかさないと決意しても、そこで突然関係が変わる訳ではないですから、突っぱねるのも力がいります

 

でも、何でも過保護よりきっと共存の方が未来は明るい気がしています

 

自己愛性人格障害者の被害者に共存しろなんて言えませんが、私をふくめた傷ついた人達がいつかその辛かった経験を活かして楽に生きていく方法を身に着けられるといいなって思います

 

ただで起き上がっちゃ勿体ないですからね