心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

失敗は怖くないと思えるか??

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最近の周りの人達を見ていると、なかなかやる気が出ない

 

何だか色々理由をつけながら、前に進めない

 

文句を言いながら出来ない事を誰かのせいにして生きている

   

窮屈だなあと感じる

 

いつから、そんなにも失敗が怖い物になったんだろう?

 

そもそも、何かを始めるときに出来ない事は当然

 

新しい事は何度もやり直す事は仕方がない

 

なのに、なんだかできる事が当然で計画を立ててはいない?

 

それって、物凄くハードルが高い

 

初めての事が出来ないで当たり前だったら、新しい事に挑戦するのにハードルなんて無いはず

 

どんどんと新しい事にチャレンジする人達は、「新しい事は出来なくてもいい」って思っているんじゃないのかな?

 

作品作りに例えると、新しい物を作るとして、間違えて材料を切ってしまったら、それでその作品は失敗作っていうのが、今の世の中の主流な様な気がします

 

実際は、とんでもなく間違えて切ってしまっても、その切り口や形を活かしながら思っていたよりも素敵な作品が出来上がる事は多いんじゃないかと思うんです

 

そんな経験を今の世の中では全くせずに成長した大人が多いのかもしれないです

 

やってみて間違えた事が活きる経験とか、失敗が素敵に変化する事は、デジタルの世界には無いのかもしれないなって思います

 

キットで物を作ったりするのは、とっても便利かもしれないけれど、もしかしたらそんな素敵な経験のチャンスを奪っているのかもしれないです

 

とっても保守的で、言い訳ばかりしながら何も進めない子供達や夫や周囲を見ていてそんな風に感じました

 

昔の記憶を曖昧にする機能は、新しい事ばかりに挑戦しなければいけないちょっぴりしんどい時期をそっと過ごすために必要な能力なのかもしれないです

 

私が間違えててもいいんじゃない?って思っているのは、失敗からの全面的なやり直しではない素敵な結果を先に見ているからかもしれないなって思います

 

やってみることに意味があるってそういう事かなと思います

 

そして、そんな事を頭の片隅に置きながら生きていれば、失敗は怖くないしチャレンジは全て糧になるって思って前に進めるのかもしれないです

 

おまけに自分に対しても、他人に対しても、子供に対しても、結構寛大でいられるのかもしれないです

 

逆に言えば、今は自分にも他人にも子供にも、失敗を恐れて何も出来ない人達が、ゲームの中だけでのリセットしか学ばず生きているのかも

 

なんだか寂しいし、随分窮屈な世の中だなあって思うけど、それと同時に経験の可能性みたいのが見えてきたかもしれないです