心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

生きてなきゃ意味がない

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新型コロナウイルスで自粛は分かる

 

生きてなきゃ意味がない

 

命は大切

 

それは理解出来る

   

でも、それは会社も仕事も同じじゃない?

 

会社も生きてないと意味がない

 

そう、倒産してしまったらもうどうにも立ち上がれなくなる

 

そのバランスを取らせるのがこのウイルスのお役目

 

人間の命だけに舵を切って、会社はどうでもいいとしてしまうと、大きな会社だって簡単に潰れてしまう

 

別に、命より経済なんて思っていない

 

でも、今の世の中はどちらかに極端に偏るのが好きだ

 

なんせ、その方がわかりやすい

 

自分達の居場所が安全で正解だと信じて反対側のものを全否定する

 

皆、それをしないと何が正解なのか分からないし自分が正解の上にいるかどうかに自信がもてないかも

 

どちらかに振れてしまう人の気持ちも分かるし賛同出来る事も沢山あるけれど、極端に振れる人が私は苦手だな

 

だから、今回の事で地方での過度な自粛が長々とされることについては、ちょっぴり疑問

 

これで会社が死んでしまったらどうするのだろう

 

なんだか、そこを忘れていない?

 

バランス感覚は大切

 

誰もが自分のバランス感覚を大切にしながら、社会活動をしていければ望ましいのかも

 

危ないなと思ったら「お休みします」って言えるとか、不安で誰かを攻撃しないとか、何かに依存しないとか、一人でも時間を楽しめるとか、誰かにイイねされなくても自分でイイねが出来るとかそんな事でいい気がします

 

自分に余裕があったらできる範囲で人の為に動いて、病気になったらなった人やその家族だけがその病気に向き合えばいいのかも

 

自粛に偏って人の行動にまでブツブツ言いたくなるのは、もちろん相手も自立してないし、自分自身も自立してないのかもな

 

「責任を取る」なんて言いながら、誰もが責任を持てていないのかも

 

別に、寄付した人や助けてる人だけが偉いわけじゃない

 

自分の行動に責任を持って、病気に掛かったとしても後でやる事はやっていたと自分に折合いをつけられればいいのかな

 

新型コロナウイルスはかかったら100%死んでしまうウイルスではない

 

これは、癌とか他の病気だってそう

 

「死」というものを前よりも身近に感じながら元気に生きていく事こそが、健全な生き方なのだと思う

 

「死」を否定して生きていくのも、「経済」を否定して自粛し続けるのも、ちょっぴり違うのかななんて思うのです

 

号令をかければ動く人間を作って来た日本ですが、個々に節度ある行動を取れる自立した社会で、もう一度生きる大切さを考えながら生きていきたいなと心に思うのです

 

何かを否定せず、何かと戦わず、現実を受け止めて、自分を守りながら進められればいいのかな

 

誰もが生きてなきゃ意味がない

 

それは、命だけじゃない!

 

自然も、経済も、心も…

 

だから、人やウイルスを攻撃するのはやめませんか?なんて思います

 

今の世の中バランスが取れない人が多いので、この課題に取り組める人は少ないかもしれないけれど、自分はそんな事を課題に生きていこうと思っています