意見をコロコロと変える人、決断を状況によって変更できる人
自己愛性人格障害者は意見をコロコロと変える
本人は、意見を変えている意識は全くなくて、目の前の人の頭の中のベストな意見を代弁しているだけなのだ
そもそも、目の前の人の中のベストを自分の意見とする様に訓練されて育った自己愛性人格障害者は、自分の意見なんて探しても出て来ない
目の前の人が変われば意見が変わるのは当然だし、逆に自分の中に変わらない意見がある人がいるなんて信じられない
だから、自分の意見がある人に対して、「頭が硬いな」って言ったり「もう少し柔軟に動けよ」とか言う
さっき言った意見をひっくり返す様な意見だとしても、恥ずかしげもなく言えてしまうし、筋が通らないとかも思わない
上手く行けば、側近のアイディアを自分のアイディアのように横取りする様な形でどんどんと展開していき、のし上がる事も出来るのかもしれない
その場合も、他人のアイディアを奪った意識も無いので、周囲への感謝も無い
失敗した時は、そのアイディアを持っていた人のせいにしてしまえば、その人が考えた物であるのだから、責任を全て背負って貰うことも出来るのだ
そういう人達は、意見を変えた意識もないので、意見が変わった事で影響が出る場所なんて分からないし、そんな自分の目の前にいる人以外なんて関係ない
それとは似ているけど全く違うのが、決断を周りの状況に合わせて変えられる人だ
こちらが、真の「柔軟性のある人」だと私は思う
状況に変化がある時に、ある程度の分析と理論を組み立てて、「こういう状況に変化したのでこのような決断をしたい!」と決断に責任を持つ
この場合、状況の変化と決断がキチンとリンクしているし、前後で筋が通っているのでその決断をするに際して影響が出る場所に対しても責任を取ることが必須になる
状況が悪化しそうな決断を取るなら、守るべきものを優先させたから仕方がないのだと周りが納得出来るような説明も出来るだろうし、それで困る人に対しての対策もできる範囲で相応の物になるのだと思う
そんな意見や決断の変化ですが、私は前者が新型コロナウイルス対策の国で、後者が大阪府なんじゃないかと思ってしまうのです
状況に応じて対策が変化していく様はどちらも変わらない様に見えるけれど、国は向かいたい方向と対策のリンクが無く、それに伴い影響がある人への配慮が感じられない
筋が通っていないので、誰を目の前にした意見なのかも分からない
アメリカなのか?中国なのか?経済なのか?国民なのか?国会議員なのか?専門家なのか?
誰の為なのか?どうするのか?
大阪府は、府民を守る為に出来る事をとことんやる覚悟をして、日々変わる状況に対応しながら、同じ方向を向こうとしているから、対策が変わったとしても、誰もが同じ方向を向く事が出来るのだ
ここは、多分大阪府だけではなく、東京都や北海道とかもそうだと思う
地方は国を見ているところも沢山あるかもしれないが、国の顔色を伺うのではなく県民にガッツリ向き合った県はやっぱり強い
上や周りから何を言われても、県民を守ると決めたのだ!って覚悟
本当は、国にその覚悟を決めて欲しかったなあと思う
国民を何がなんでも守るんだ!なーんて、同じ様な言葉を聞いた気もするが口先だけ
口先だけの言葉とこの違和感は、自己愛性人格障害者のそれとそっくり
この違和感を説明するのはとっても難しいし他人に伝えるのはもっと難しい物だけれど、大切にされてはいない虚しさは国民の心に刻まれると思う
ただでさえウイルスや経済活動の停止でダメージを受けている心に、この虚しさは辛い
毎日虐待を受けている子が先生が「親に相談してみたら?」なーんて言われたのと同じ位、国民は絶望感を感じているのかもしれない
国の向いている方向が突然変わるとも思えないし、信用も出来ないし、一つ一つにキズ付きそうな言葉や政策に向き合う事も出来なくなりそうだ
国会議員は自分達が死ななきゃいいのだ
国が潰れなきゃいいのだ
この自己愛性人格障害的な考え方で動かそうとすると、国民はあくまでコマ
犠牲も仕方が無い
あーあ、キズついた国民は今の国の為には動かないかも
団結も出来ないかも
誰もが自分さえ良ければいいってなると、治安も悪くなっちゃうかも
トップが自己愛性人格障害者だと、皆被害者面をして、皆で責任転嫁をし始める
益々、感染者や細かな行動への攻撃も強くなるし、弱い人への攻撃も増える
なんて、おかしな方向にいかない様に、知事さんたちが頑張っている姿を見てようかな