心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

辛い事、苦しい事が自分の事ならどんなに大きな困難でも受け止められる

自分の現実が辛く苦しい時、人間は意外と冷静だ

自分だけなら辛くても意外と我慢も出来る

だから、自己愛性人格障害者のターゲットになった人も家族に被害が及ぶ事を懸念して大きな声を上げにくい

これは被害ばかりではなく、例えば病気とか怪我とかもそうかもしれない

子供のようにまだ親や誰かに依存している人は、自分の事として受け入れる事が出来ない為、パニックを起こしたりするかもしれない

でも、もし自分が事故で動けなくなったとしてもそれを嘆いても、事故を起こした相手のせいにしても、動けるようになるわけではない時は、それを受け止めて前向きに生きて行くしかないのかもしれない

相手を責めないとか責めるとかでは無く、自分の現実は受け止めなきゃいけないと思う

現実を受け止めて今出来る事を見据えた上で、お金が必要なら相手に損害賠償を請求したりするのかなと思う

それに比べて、家族や大切な人の事で辛く苦しい事は実はなかなか受け止められないのではないかと思う

自分なら受け止められるのに、大切な人の事故や病気や被害はなかなか受け止める事が難しい

自分だったらと考えているにも関わらず、本人より受け止められないって過剰な共感なのではないのかな?と思う

と言いつつ私も家族の困難にはジタバタする

多かれ少なかれ、家族は依存しているし、それを家族の事を思っていると言うし、家族だからこその信頼関係がある事で家族って成り立っているのかもしれないなと思う

家族に被害がいかないようにとか家族が喜ぶからとか、家族が困るだろうとかは本当に素敵な感情だけど、行き過ぎはやっぱり自立とは逆の依存になってしまうのはなんとなく納得できる

結局、過保護は依存と支配の塊だ

今回、病気と戦う2人の女性も本当に強いと思ったが、自分の事は受け止められるはず

強いのは、実は彼女達の家族なのかもな