心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

家の中の自己愛性人格障害者的な考え方

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自己愛性人格障害的な家族の在り方はごく普通の家かもしれない

 

なんて我が家の中を見て思う

 

主人の家は良く勉強のできた子供達を自慢する母親と年収が上がった子供を結婚のスピーチで自慢しちゃう父親

 

うちの出来た息子をあなたの娘に上げるのはもったいないとでも言いたかったのだろうか?との上から目線にちょっと引いた記憶がある

   

自営業がほとんどの私の親戚のさらっとした対応に今となっては感謝かもしれない

 

家の事は全てやる主人の母は自分がいないと困っちゃう家族が大好きだ

 

甲斐甲斐しく何でもやる

 

何も出来ない義父さんや子供達や孫達に囲まれて、「毎日忙しい」と愚痴をこぼしながら内心嬉しそう

 

お陰で、何もしないでテレビを見るお父さんと子育てをほとんど任せる子供達

 

孫達は両親に見てほしいと必死になんでも頑張るが、この家の子供である親は無関心

 

親はしつけもしないし、宿題もおばあちゃん任せ、出掛けるのもおばあちゃんとおじいちゃん任せ

 

だから子供達はあまり親と遊びに行くことはない

 

お小遣いで繋ぐ孫と祖父母と親子の関係と、孫育てで繋ぐ親子との関係

 

支配的だし自立も無いし、役に立っている自分でしか存在価値を見いだせない祖母

 

楽して得して自分達で責任をとらなくていい子供達や孫達

 

お互いに依存してとてもいい関係だ

 

なんてのが我が夫の方の家族

 

結構普通だと思う

 

 

実はなんの責任も取らないしなんの自由も与えられない世界

 

実質的には子育ての責任は親にも祖父母にも無い

皆好き勝手にやりたいことをやりながら、責任を回避する

 

肝心なところは親でしょ!きちんとしていないのは毎日見ている祖母でしょ!なんてお互いに思っている

 

出来た息子は自分のお陰、出来ない息子は息子のせい

 

どちらかと言えば、出来ない息子は自分のせいで出来た息子は息子の努力でしょ!なんて思うけど

 

支配されてしまっているから、皆お母さんに頼らなきゃ何も出来ない

 

 

でも、夫はそこから早々脱出した

今はなんとなく自分で歩いているが、やっぱりその親に育てられた影響は大きい

 

上下はあるし、子供は動物以下だとか平気で言えてしまう

 

放っておくと条件や物で吊る支配的な人間関係を作ろうとする

 

やりすぎだと言っても、何がやりすぎなのか分からずなかなか理解出来ないのかもしれない

 

我が家でも、なんの権限もないのにテレビを餌に、眠い目を擦りながら下の子がやっているのをお姉ちゃんが監視していることもある

 

「それ、やり過ぎじゃない?」と声をかけると「じゃあママがやらせてよ!」とお姉ちゃんが怒る

 

主人もそんな感じかも

 

「私だったらまずその状態なら寝かせちゃうわ」と言うと「ママは甘い!」と家族は口々に言う

 

だって、翌朝元気になってから楽しくやらせた方がどんなにお互い楽だろうなんて思うのだ

 

自分の思い通り今すぐやってもらわなきゃ気が済まないなんてなんて支配的

 

私には異常に見えるそのやり方も、本人達は当たり前だと思っている

 

それしか方法が分からないのかも

 

主人の母が毎度出産で私が入院中に我が家に来る

 

毎回「自分の役割がない」「役に立てない」と嘆いて帰っていく

 

我が家は自立した人達の集まりだ

1日2日私が家に居なくても、子供達は自分達の予定を自分達のペースでこなす

 

私がいれば車での送り迎えもお願いしてくるが、いなければ自転車や電車やバスで一人で動く

 

私がいれば甘えてしない片付けも、いなければ自分達でする

 

誰かがごはんは作ってくれればありがたいが、無ければバランスを考えて相談して買ってくる

 

出来る人が出来ることをやって生活している

 

そこに、フォローする要素は山ほどあるが、母親がいなければ事が進まないものなんて1つもない

 

だから、義母は私が居なくては困る人が居ない存在価値が見いだせない我が家に来るのが嫌いだ

 

その上、なぜだか私に張り合う

 

お母さんより美味しいごはんを作りたい

お母さんより子供達の思いを分かりたい

お母さんより役に立ちたい

お母さんより良いと言ってもらいたい

 

その圧力に我が子達はホトホト疲れたと義母が帰ってから散々愚痴をこぼす

 

どんな母親でも母親に勝てるわけも無いのに…

 

本当に有り難く「助かった」と何度も言っても、「これでは助かったとは言えない、私は邪魔な存在だ」と否定する

 

結局、あの物凄い支配欲を我が家では満たすことが出来なかったのだ

 

 

自由と責任はセット

 

責任が取れないなら自由は無くて当然

 

責任を取らないで自由だけを得ようと思うと、信頼を得られず人間関係を築くことが出来ないのかもしれない

 

 

全ての責任を押し付けようとしてくる家族に腹も立つけれど、それを受け止めようしている私と子供達との関係は信頼関係が築かれたかなり濃密な物かもしれない

 

全ての責任を周りに押し付けている主人と家族の関係は信頼関係の希薄な物かも

 

まあ、それなりかな

 

自己愛性人格障害的な考え方なんて、ごろごろしている

 

全てが悪い訳じゃないかもしれないし、ごく当たり前にその辺に転がっている

 

それを避けながら自分を見て生きて行くことが、楽で楽しい生き方だと思う

 

なんて、虐待を外から疑われてみて考えました

 

大きな声で元気で何よりです!なーんて思えない世の中です

 

大声で騒ぐのも虐待なのかな??