自己愛性人格障害者達は 物凄く執着心が強い
その体力はどこから来ているのか?なんて思うけれど、あれは体力じゃない
普通の人があの執着心を維持するには相当な体力と気力を使うかもしれないが、自己愛性人格障害者達は強いて言えば「火事場のくそ力」といったところだろうか?
常に生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ ずっと火事場なんて、神経をすり減らして生きている
どちらかと言えば、耐える体力も気力も無いのかもしれない
人間、体力に自信が無くなれば弱気になるわけではない
特に男の人は体力に自信があれば、ドンと構えて大きくゆったりしている人も多い
でも、そういう人が病気になると体力に自信がなくなる
何かで力が誇示出来なくなれば、劣等感で自己否定して被害妄想的になる
自分が攻撃されたと思い込みイライラを募らせて病人の夫が妻に当たるなんて事は沢山あるんじゃないかと思う
女性の場合はそもそも男性よりも力に自信がある人は少ないだろうから、病気になったからって人に当たることはないけれど、男性は体力や収入が無くなるととたんにイライラする人は多いかもしれない
ちなみに、子供達はもっと単純だ
寝てないとイライラ、食べてないとイライラ
寝不足だと、体がしんどいからいつもは何気なくこなせることもぐずぐずしながら反抗してやる
これはママもそうかも
寝てないと、大したことも無い子供の言動にも噛みついちゃう事もある
そ、人間は体力が無いと寛容にはなれないのだ
そう考えると、沸点の低い人達には体力が無い
人間関係でも、誰かを我慢して見守る事ができる人というのは、実は物凄く体力がある
見た目筋肉隆々の人でも、イライラと攻撃的な人は体力が無い自分を隠すための鎧としてその体を保っていると言えるかもしれない
そんなことを思いながら周りを見渡して見ると、ドンと構えていられる体力や人間力のある人は、何だか中肉中背のどちらかと言えばスラッとした人が多いかも
包み込むように寛容な人は、大抵人生で色々な経験をしている
その中を色々な気づきを得ながら乗り越えて来た人達なのだ
きっと体力なんて、私では足元にも及ばないのかもしれない
そんな人達がゆったりと長生きする様を見ていると、何だか納得かもな
自己愛性人格障害者を見ていると、体力も気力も無い人達がその少ない力を無駄にすり減らして、生き急いでいるのかもしれない
ちなみに私の周りには、本当に寛容な人が多い
私の愚痴にも「分かるよ~」と聞いてくれて、先行きを見守ってくれるような人が多い
私を信頼してやりたいように出来るように助言してくれる人もいる
なかなかそんな風にはなれないけれど、とりあえず体力が無くなったら寝てエネルギーを補給しないと始まらない
健康な心と精神的安定は、体力と人間力と密接に関係しているのかも
そう思えば、体力の無い子供やお年寄りは人間力に掛けていっても仕方ないかも
年齢を重ねて体力が無くなる前に、あまり力を入れないで生きていける術を身につけないと、人間力の無いつまらない年寄りになっちゃうかもね