心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者は絶対的支配が出来るところに多い

自己愛性人格障害者は「自分がいないと困っちゃう」って状況に憧れる

 

自分の必要性を自分で感じる事が出来ない為、自分を必要としてくれるところを極度に求める

 

それって皆そうなんじゃないの?

 

って思うかもしれないけど、実は皆が皆そうではない

 

自分が自分のままで良いと肯定している人は、自分を必要としてくれる人がいる事は嬉しいが、そこに依存はしない

 

「自分を必要としてくれる人がいるおかげで自分の存在価値があると思うかどうか」が自己愛性人格障害者とそうでない人の違いかもしれない

 

だから、自己愛性人格障害者は偽善者ぶる

 

ボランティア活動を盛んにしたり、保育士や幼稚園や小学校の先生になったり、子供を教える仕事についたり、看護師や介護福祉士や障害者と関わるお仕事には、実は自己愛性人格障害者は物凄く多いのかもしれない

 

私の周りの自己愛性人格障害者は、たいてい人の役に立つ弱い者を助けるお仕事に就いている

 

自分より弱いと思う人間で自分がいないと生きていけない人達の自分を必要とする気持ちに依存して、自分の存在価値を高め何とか生きている

 

「子供達や障害者や老人に優しい、ボランティアをできる素敵な心を持った私」の価値を高め本物の中身に自信が無い自分を保って生きているのだ

 

それの何がいけないのか?

 

まあ、「価値のある私」だけならなんの問題もない

 

でも、それは自信のない自分が作り上げた偽物の自分でしかない

 

本当は人の事を考える事もしたくないほど自分勝手なのに、頑張って我慢して素敵な自分を作るのである

 

我慢して頑張っていない人が居たら、自分はやっているのになぜやらないのかと頭に来るし、自分が頑張ってる事が評価されないと生きていけないのに評価されなかったり、隣の人が評価されてしまうと頭に来る

 

外で頑張ってやってるんだから、家では何とかしてそのストレスを吐き出したい

 

素の何も出来ない自信のない自分を受け止めて欲しいし、赤ちゃんのように全てを包み込んで欲しいと思う

 

機嫌が悪くなれば、オムツを変えてご飯を食べさせてくれるのは当然の身分だと思うのだ

 

頭に来て物を投げても、癇癪を起こしてもそれも全て自分だと受け入れて貰わないと外での頑張りが割に合わないと思うのだ

 

その位頑張って作り上げた自分は素敵に決まってるし、完璧に決まっている

 

人から必要とされる事は当然だし、そんな職業が自分には合っていると思うのも当然

 

弱い者には強く出て、強い者には従う、完璧主義者な偽善者の中身なんて、スッカスカかもしれない

 

 

 

未来の自己愛性人格障害者を増やさないためにも、せめて教育に従事するのは勘弁願いたいな〜