心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者にとって遊ぶとは?

f:id:pilatesno-1:20210213010539j:plain自己愛性人格障害者は、勝ちか負けしかない

 

幸せか不幸せしか無い

 

誰かが勝てば必ず自分は負ける

 

だから、誰かが楽しそうにしていると自分は楽しく無くなる

 

誰かが幸せそうだと自分が幸せじゃ無い

   

と思い込んでいる

 

関係無いのに…

 

なので、他人が楽しそうにしていたり幸せそうだと許せない

 

イライラが募る

 

挨拶も出来ない

 

そもそも、自己愛性人格障害者にとって「遊ぶ」ってきっと無駄な事

 

特に他人には、遊ぶ時間なんて必要ない

 

楽しく遊ぶなんてしなくていい

 

遊ぶ時間があれば勉強していればいいし、仕事してればいいし、トレーニングしていればいい

 

子供に対しても配偶者に対しても、他人に対しても、休憩なんていらないと思っている

 

だから、他人が楽しく遊んでいるのはとっても許せない

 

ほんと、変なの

 

楽しく遊んでいる人が顔見知りだったりすると、羨ましいを通り越して憎いになっちゃう

 

なんであの人は楽しそうなのに、私には同じ楽しさが無いのか?不公平じゃない?おかしくない?ってなっちゃう

 

皆違うのに、同じじゃなきゃズルい

 

同じ物を手に入れる事が出来るのに、手に入れられないと思い込んで怒り心頭

 

相手を認める事は負ける事

 

一緒に楽しもうなんて、負けたも同然

 

その間に出し抜いてやるとか思うから、遊んでいる人達をバカにする

 

楽しんでいる人を「だらだらしてるから駄目なんだよ」って出来ない人扱い

 

でも、実はメリハリを持って遊べる人は仕事が出来る!

 

切り替えが上手で、集中力も凄い

 

MAXで遊べる人はMAXで仕事も運動も出来る能力を持っている

 

もちろん、出来るか出来ないかに好きか嫌いか努力するかしないかはあると思うけど…

 

だから、真面目にコツコツもいいけど、ずっとダラダラも良くない

 

長々勉強してれば出来るようになる訳てはない

 

ダラダラ会社にいれば仕事量が多いわけではない

 

練習時間が長ければ出来る訳では無いのはそういう事なのもしれない

 

自己愛性人格障害者は遊びに行くけれど、自慢する様な遊び方だったりする

 

別にあの人達には遊びが必要じゃないのかもしれない

 

派手な遊びだったり、誰もが羨む海外旅行だったり、素敵なリゾートだったりして、見栄っ張りな遊び

 

皆に「いいな〜」って言われればいい

 

だから、自己愛性人格障害者はとことん楽しんでそうなおかしな遊び方はしないのかもしれないな

 

そう思うと、気合いを入れて遊ぶ人に自己愛性人格障害者はなかなかいないのかもしれない

 

そして、そんな知り合いの大人を見ると自己愛性人格障害者はイライラするのかもしれない

 

大人が子供に混じってMAXで遊ぶって、凄く和やかな光景だけど、そんな光景を睨んで見てる大人っていません?

 

規制してきたり、はしたないって言ったりして、バカにしてくる人って沢山います

特に女性には多い

 

異性なら「子供ね」って下に見て言う事も出来るけど、同性だと途端に許せない

 

周りの子供達が楽しそうで、我が子が羨ましそうに見てたりすると、突然敵認定!なんて事もあるかもしれないです

 

そっか、大人になっても皆一緒にとことん遊べば、自己愛性人格障害者は勝手にそこから居なくなるかもしれません

 

文句は本人の嘆きだと思って無視出来れば最高かも

 

お父さんが子供達の遊びに全力で参加するのを見てると、子供達は本当に楽しそうだもの

 

もしかしたら、自己愛性人格障害者の子供達も自己愛性人格障害者本人もそんな両親に憧れているのかもしれない

 

そして、そんな子供達の気持ちや自分の気持ちの持って行き方が分からず、イライラしてあたり散らすのかもしれないな

 

それにしても、挨拶出来ない程イライラする?

 

ほんと大変な人だわ〜

 

沢山遊んで、自己愛性人格障害者を追い出そう!!