心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

不安になると自慢しなきゃ居られない?!

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新しい事に向かう時、人は皆不安なはず

その不安な気持ちをどうするか

「昔は良かったよね」とか「新しい事になんて挑戦しない方がいいんじゃないか!」なんて言って、チャレンジしない選択をするのもあり

子供達は結構そうやってその場を乗り切ろうとしている

初めから何でもできる人なんていないのに、失敗を怖がるとそうなっちゃうよね




大人も保守的な人達はきっとそう

保守的なんて言うと堅実そうだけど、そんなにカッコよくなくて、ただ新しい事に向かう不安に耐えられる自分がいないだけ


だから、何も言い訳をせずに新たな事に挑戦するって、凄い事

心も身体も強くないと、その不安に耐えられなくて1歩踏み出せない


不安と期待を天秤にかけた時、期待に重心を持っていけば期待を胸に1歩を踏み出せるのかもしれないけれど、その為には自分への信頼があることが大前提なんじゃないかと私は思っている

それを「自己肯定感」なんて言うのかな?


でも、そんな1歩の踏み出し方以外にも踏み出す方法はある


それは、目の前にいる人を踏み付けて歩き出す方法

自己愛性人格障害者達の1歩の踏み出し方は全てこの方法

最近は増えていると思うこの方法…


家族の中で「あの人になら勝てるわよ」とか「あなたの方が価値があるわ」「このままじゃあの人に負けちゃうよ」とかを言う分には構わない

そりゃ、踏み出す力や勇気が無いときは多少そんな手を使ったっていいと思う

負けず嫌いやプライドを使った方法が全て悪い訳じゃない

でも、外では勘弁願いたい


家が裕福だとか、有名人と仲が良いとか、凄い成績だとか、学校が凄いとか、親戚が凄いとか、自慢しているのを聞いていると、なぜ自分は特別で周囲を雑魚にしないとやっていけないの?と思ってしまう

何をそんなに怯えているのかな?

そして、そのアクセサリーばかりを自慢する人に価値があるかのように群がる人達が本当に気持ち悪い


「周囲は大した事無い人達だから、私は明らかにあなた達より上よ!」なーんて言わなきゃ維持出来ない心って一体なんだろう?

この裏に「だから私は新しい事にも向かえる力がある!」「一般の人達とは違うから私には出来るはず!」ってのが見え隠れする

いちいち自慢して、いちいち特別だといい、いちいち「誰かより」を強調して、他人を踏みつけながら前に進んで行く

あの人達には、あれ以外の起動力は無いのかも


誰かに価値があるから可愛がるとか、そのうち有名になるから仲良くしておこうとか、可愛がられるために良くしておこうとか、この中では一番ねとか…


そんな踏み出し方でも新たな事にチャレンジ出来ればカッコいいと思うのか?


私には全然格好良く見えないのに…


下品に周りを踏みつけながら、前に進んで行く人達から遠ざかりたい

周囲がその自慢に右往左往するものだから、完全無視って訳にもいかない

周りに順位をつけるのも聞きたくない

だって、きっと私にも順位はついているのだから…


新しい事に向かうのが不安なのは分かる

そんなやり方がある事も知っている


でも、人を踏みければ踏みつけられた方はモヤモヤする

自慢ばかりしていれば得をしそうと思った人は集まってくるだろうけど、それ以外は離れて行く


とっても安易な方法だから、くせになるのも分かるし、それしか方法が無いと思っているのかもしれないけれど、あんまりやると苦手になりそう

当たり障りなく、そっと信用を崩し、そっと距離を置いて接する事になるんだろうな