心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人見知りだけど馴れ馴れしい

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自己愛性人格障害者はそもそも人を信じてなんかいない

ずっと条件付の愛情しか受けていないから、ずっと条件が無いから愛されないと思って生きてきたから、無条件の愛情がある事なんて知らないので、何も無く人から可愛がられる事なんてよく分からない

そもそも、どんな子も母親父親が大好きだ

でも、他人は基本無条件に他人の子に優しい

他人の子に、期待を込めて怒る人なんてそうそういない



だから、子供達は他人も大好きだ


そして、親がその他人を許しているかいないか位はよーく見ているから雰囲気で分かるし、親のオッケーの出た他人にはとことん甘える


そう、自己愛性人格障害者の子供は、親のオッケーが出るかどうかで、その他人である大人を見極める

自分で決めることは無い

親が「この人と付き合えばメリットがあるぞ」と思えば、子供を使ってでも親しくなる

あくまで、他人と親しくなるための道具として子供を使う

他人の子には甘い大人と、無条件に可愛がられる喜びが合致する

いいね、この関係


でも、自己愛性人格障害者では無い親の場合は、最終的には子供と他人に同じ関係ができるのに過程が違う


子供がその他人である大人を好きか嫌いかを自分で判断する

信頼関係が親と築けていればいるほど、子供達は他人には無防備だし、そこに自立した考えがキチンと育てば育つほど、判断の基準は確立してくる


だから、一般的に自立している考え方を持った親の子供は他人が好きであれば人見知りはあまりしない

自分の考え方とその後の行動が自分の判断で行われているため、矛盾が生じない




自己愛性人格障害者の子供達は、親が判断するまで他人には近づかない


初めは人見知りなのにある時点からとにかく馴れ馴れしい子供達の正体は、ここにある

そして、そういう子供達は自分で判断して他人と接したり人間関係を築いたりすることを全くと言っていいほど学んで来ない

大きくなっても判断が出来ない

もはや周りの評判や評価の良い人、メリットが有りそうな人に近づく事しか出来ない


もちろん、自分の評価が低くなれば他人は近づいては来ないと思っているため、その評価に敏感にはなるし、評価を下げる人を自分を殺しに来る人と同じだと思う

そして、他人の評価のいい人を自分の直感で怖いとかヤバイとかの判断をなかなか下せない


これ、怖い

評価の高い変な人について行ってしまう事もあるかもしれない

大人になっても何だか人見知りで、突然馴れ馴れしい

先に判断材料や評価があるなら、いきなり馴れ馴れしい


肩書に釣られて近づいてきて変な距離の縮め方をする人達は、自己愛性人格障害者である可能性は高い

そう考えたら、自己愛性人格障害者ってやっぱり大人になっても子供のままなんだよね

あの子供達も物凄く気持ち悪いし、あの大人も物凄く気持ち悪い


人見知りだけど馴れ馴れしい他人が大好きな人の正体が分かったぞ


ちなみに、私は人見知りはあまりしない


判断は結構慎重

その人によって距離の取り方も縮め方も違うって感じ


我が子達は…自分で判断をしてくるため、私が苦手と思う他人ともお付き合いしています

これ、凄い事

「付き合わない方がいいよ」とかも言いません


私がこの人は好きだなと思う人でも長子は特にストイックな人は嫌いみたいです

一緒に居たらカッコよくなれることは分かっていても、共感性が高いのでそのストイックさを自分に求められて辛いのかもしれないです

「何だか苦手!」と逃げます


おお、考えたらかなり早目から自立してたんですね


痛い経験をして、「この人苦手」と本人が思うのも勉強だと思います


でもやっぱり苦手なお家の子とはそこそこトラブルがあるんです


面倒です