心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

家の中の自己評価は置いていこう

f:id:pilatesno-1:20210301110858j:plain 子育てをしていると、予定通りに事が運ばない

学校に皆が行ったら、ここに行こう!と思っていたら、何!!「学校に行きたくない?」

これとこれの間でちょっと寝とこうかな

「ええ、見てて!」って???時間無いのに〜

とか

ご飯はこの時間で作ろうかな〜 「手伝う??」そうか、今は急いでいるから嬉しくないぞ!!

なんてことばかり

もう、1時間2時間の予定変更にはビビらない

そんな予定にも対応している私に向かって子供達と夫は、「な、なんと予定通り物事を出来ないダメな母親扱い」

あんた達が予定を崩してるんだろー!!と叫びたくなるが、私の味方はいない

これって、いじめじゃないのかい?

こんなに出来る母は世の中いないぞ!って思うけど、そのありがたみなんて一生分からないんだろうなと思う

当たり前の人だから

それって、実は随分可愛そう

私が母として当たり前だと思っている我が子達

大きくなったら私くらいやらなきゃ、いい母だと思えない

もしかしたら私を越えなきゃ、いい母だと思えないかも

私以下なら、出来ない母親だと思っちゃうのかもな

結婚できるのかな?

とりあえず、私の家の中の評価は低いけど、自画自賛しちゃうよ

外に出れば分かる

自分位出来ると他人に期待したら、裏切られるし破綻する

だから出来る人なんだ! こっちの評価を私は選んでいる

そんなこんなで、子供達は自分達が何でも出来る凄い子達だと思っていない

凄いよ! ご飯も作ろうと思えば作れるし、一人で何でも出来る

どこからでも帰ってこれるし、どこに出しても立派な子

でも家の中だと自己評価が低い

100点は当たり前だし、運動は出来て当然、絵も賞を取っても普通、歌も素敵に歌えて当たり前

だって、出来ない人がいないんだもん

出来ないと何で出来ないのか指摘されちゃうし、教えてくれる人が家の中に必ずいる

我が家のハードルは高めだ

自己評価は家の中では上げられない

だったら

それは置いておいて、外での評価を大切にしたら?って思う

基本、家の中は凄い閉鎖的

なかなか、偏った評価しか得られない

小さい時は仕方のないことだけど、大きくなったら家の評価は家に置いていかない?

外の評価をちゃんと聞けば、自分の評価はそのうち分かる

それを大切にしてみたら?

なんて、思う

やっぱり親に評価してもらうことは大切だけど、そこをちょっぴり除けたら楽になるかもしれない

なんて思います