心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

親友が出来る時はどんな時?

f:id:pilatesno-1:20210213014027j:plainSNSを通してあんなに友達申請してるけど、皆親友っているのだろうか?

 

遠くに居ようが心の支えとして大切な存在

 

お互いを手放しで応援出来る存在

 

何があっても関係が崩れないであろう存在

 

別にお互いの全てを知っている訳ではない

 

裏切らないとも限らない

 

でも、きっと良い事にも悪い事にも寄り添ってくれると思える友達なのかもしれない

 

そんな親友だが、必ずお互いを信用できる存在だ

 

人を信用出来るという事は、実は自分を信用しているという事だ

 

自分が絶対に相手に寄り添えると思えばこそ、相手が寄り添ってくれると思える

 

自分が相手の気持ちが分かるからこそ、相手にも自分の気持ちを分かってもらえると思える

 

自分との間に何かがあっても乗り越えてその関係を維持したいと思うからこそ、相手もそう思うだろうと考えられるのだ

 

だから、人を信じることは自分を信じること

 

相手を親友として心から受け入れる事ができるのは、自分を受け入れたという事なのかもしれない

 

そして、自分を受け入れるという事は自分がありのままの飾らない自分でいいと思える事だ

 

要するに自己肯定感が高い状態

 

だから、親友が出来るのは、自分を受け入れた時で、自己肯定感が上がる時なのかもしれない

 

そう考えると、凄く納得がいくことがある

 

私は高校時代に親友が出来た

 

何年会っていなかったとしても関係が変わらない親友

 

私は小さい頃からずっと自己評価が低く、自分は生きていてもしょうがないと思っていた

高校生になって少したってから、家の中の評価と外の評価が違う事に気が付いた

 

そこからゆっくりと自分の評価を外の評価に近づけていった

 

今に至るまでにだいぶゆっくりと時間をかけたが、そのきっかけは高校時代にあり、その時の仲間が今でも親友と言える友達になった

 

だから、私が自分を受け入れた瞬間はそこにあったんだと思う

 

親友という信じられる存在を得ることは、私が自分を信じれるという事だったのだ

 

そして、つい最近我が子にも親友が出来た

 

大人の私から見ても多分もうこれ以上の関係はなかなか出来ないであろうと思う素敵な関係だ

 

二人は今の年齢にはそぐわない経験をしている

きっとそんな経験があれば、人を信じることや未来が明るい事を確信して生きていく事が困難な時期もあったであろうと推測出来る

 

なかなか同じ年齢の子達と分かり合える事は難しいだろうと思う

 

でも、だからこそお互いの思いや状況に共感出来るし、信じられる存在になったのだろう

 

我が子も自己評価は低めだった

上げても落ちる自己評価に親として悩んだ時期もある

最近色々な事があって、少しずつ自分の力を信じられる事が増えた

 

自立してきた瞬間だった

 

ここで、親友ができる事は2人にとって当然だったのかもしれない

 

親友が出来たから自立出来るのではない

それだと、親が親友に取って代わるだけ

 

きっとそれは親友ではなく、ただの依存

 

そうではなく、自立して自分が自分でいいと自己肯定感が上がりはじめた時に、初めて親友が出来るのかもしれない

 

自立したときに出来た親友はお互いを認めた本当の親友になるだろう

 

そして、早くにそういう友達が出来れば、きっとそれを支えに人間関係を上手く作ることが出来るのかもしれない

 

そう考えると、自己愛性人格障害者のように、人を疑ってかかるフィルターを持つ人達には一生親友なんて出来ない

 

仕方がない

 

ちょっと自分の親友との関係を考えてみると面白い

その頃の自分はどうだったのかななんて振り返ると、そこに今の自分になるきっかけがあるかもしれない

 

あー、スッキリした

実はこのテーマ、随分悩んでいくつもの記事を没にした

とにかくまとまらず、どこに行きつくんだかさっぱり分からなかった

 

まさか、こんな所に行き着くとは自分でもびっくりだし面白い

我が子に親友が出来た事で、しっかり自立出来てる事に気が付いた

 

2人のこれからが、素敵に輝きますように!