心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

平等な社会なんてない


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東大での祝辞が話題になっているけど、そもそも男女差別はあるものだ

世の中は男女差別や人種差別を無くそうと色々な方法が取られている

 

理不尽な男女差別は、無くす方向に向かうべきだとは思うが、そもそも人は誰もが違うものだ

 

隣の人と同じサービスを受ければ、平等なのでは無い

 

子供が2人いる人にいるサービスを夫婦のみ暮らしている人にしたとしても、平等にはならない

 

男女に性差があるなら、同じ条件が平等ではない

 

もちろん、平等に評価出来る事も沢山あるだろう

 

でも、それだってその人の一つの評価に過ぎず、それがその人の全てだと思う事は傲慢だ

 

東大に入ったのは、勉強を頑張って努力した結果だろうし、周りが支えたお陰だろう

 

でも、東大生だから勝ち組ではないし、他の人を馬鹿に出来る訳ではない

 

東大生がずっと勉強をしてきたその時間をスポーツに充てた人も遊び呆けてた人も、だから失敗ではない

 

でも、実際は勉強出来ない人をバカにする人や、スポーツ出来ない人をバカにする人は山ほどいるし、違った人間に同じサービスをする事を良しとする風潮はなかなか変わらない

 

自己愛性人格障害者は、勝負と損得のみを評価基準として生きている

 

そんな人達が増えていくと指標は勝負と損得しか存在しなくなる

 

その指標では測れない所に価値があるとパニックを起こす

 

平等なんてそもそも存在しないのかもしれない

 

理不尽なんて当たり前かもしれない

 

平等だからこそ努力が報われる社会であるならば、努力したって報われないのは当然かもしれない

 

こんなに苦労しても辛いだけかもしれない

 

でも、もしその辛い世界が自分の考え方一つでガラリと変わるなら、それはやってみる価値があると私は思う

 

とこでも生きていける力と考え方を持てば、環境がどうだろうと楽しくいきていけるのかもしれない

 

今の環境に幸せを感じることが出来ない人が、環境を変えたところで幸せを感じられる事なんてない

 

個々の違いをしっかり評価出来る社会になるといいなと思う

 

皆、隣と一緒じゃないところをアピールして自信をもって生きていって欲しい

 

頭のいい人は、それを武器に素敵な社会を作っていけばいいし、体が動かせる人はそれを武器に人の心を動かせばいい

 

皆違うから、社会の補助や助成は難しい

 

頭のいい人たちが、頭の良い人に得な社会を作ることは、もし自分に何かが起きたときに命取りになるという事が分かればいい

 

世の中の人が、自分に都合がいいだけの世界は結構生きにくいということが分かれば、もっと素敵な社会が出来ると思うんだけどね