心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「お互い様」が通じる寛容な社会

最近は殺伐としていて「お互い様」って言葉が通じない

 

何か迷惑を掛けてしまった時に、過度に神経質になり萎縮してしまったり、迷惑を被った時に過度に反応してキレてしまったりする

 

この過度な動きを無くしてしまった状態がある意味「お互い様」のような気がする

 

不満はあれど、どちらもまあ許せる範囲だよねって感じかもしれない

 

「お互い様」の世界に不満が無いわけではない

 

不満はあるけれど、決して平等ではないけれど「まあいいか!」って感じかもしれない

 

この状態は、実はかなり居心地がいい

 

 

自己愛性人格障害者は目先の損得のみでしか評価出来ないので、この「お互い様」の感覚を持つことは無い

 

そういう人が多い今の世の中では、「お互い様」はなかなか通じないのかもしれない

 

この「お互い様」の感覚が無いと、実は長期の計画が立てづらいのかもしれないと思う

 

そこにいる誰もが目先のことばかりで前に動き辛いかも

 

少しの痛手があれど、そこにいる誰もが皆で吸収して、前に進んで行く社会を作れるか?なんていうのがこれからの課題なのかもしれない

 

誰かにとっても都合のいい社会は、きっと誰かには生きていけないほどしんどい社会なはず

 

痛み分けではないけれど、振り幅は小さめにさらりと流せる人間関係が出来ると、楽なのかもしれない

 

そんなグループを作る難しさと楽しさを今まさに教えてもらっている気がする

 

コミュニケーション能力ってそんなところかもしれない

 

この自己愛性人格障害のうじゃうじゃいる世界に「お互い様」が存在出来たら、自己愛性人格障害者の動きは一時的にも封じ込めそうな気がする

 

まっ、ふつふつとはしてるだろうけど…