心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

生きるを考えると日常は幸せになるのかも

この世に存在している限り当たり前の「生きる」という事が、当たり前ではなくなってしまう時ってある

 

大病になって長く生きられないかもと思ったり大事故にあって生死をさまよったりすると「生きている」という当たり前の日常に危機感を感じる

 

当たり前の日常が幸せだと感じると、朝が来るだけで幸せだし、ご飯が食べられるだけで幸せだ

 

ご飯を作ってくれる人にも感謝するし、その素材である野菜を育ててくれた人にも感謝できる

 

日常の全ての物に感謝しながら、1分も無駄にせず生きていける

 

ゆっくりした何もしない時間が無駄だと感じていた人だって、何もしないでいい時間に感謝出来るのだ

 

これは革命的だと思う

 

でも、革命的な変化を生み出すにはその人にとって革命的な出来事が起こらないと難しい

 

何も無い日常をつまらないと感じながら生きている人にいくら変わってもらいたいと思っても、きっと変わることなんて無い

 

だから…きっと大病や大事故でも生きていられた人は幸せだと思う

 

誰よりも幸せな時間をその後生きていけるのかもしれない

 

若い時に辛い経験をすると「若いのに気の毒ね」と周りは思う

 

でも、若いうちに経験したからこそ、その後幸せに生きていけるのかもしれない

 

当事者が若いという事は周りも若いという事

 

当事者が辛く苦しいだけではなく幸せを感じれば、必ず周りも幸せになるはず

 

大きな出来事があったら、どんなに辛くても全てを糧にして生きていこう

 

きっと、誰よりも素敵な幸せを掴めるはずだから

 

私と私の周りの人達が幸せでいられますように!