心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者と上手くやっていかなくてもいい

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自己愛性人格障害者がどんどん増えてる今の社会では、自己愛性人格障害者と上手くやっていくのがベストなのかもしれないけれど、恋人とか夫婦とか友達とかは上手くお付き合いして行こうと考えなくても良くない?

 

なんて思う

 

自己愛性人格障害者とはいい距離を保って、根気よく付き合う事が大切とか言われても、友達も夫婦も恋人も根気よく付き合う必要ってそもそも無いと思うんです

   

距離を保つ事にも労力がいるし、子供でも無いのに根気よく付き合ってあげなくてもいいんじゃないかと…

 

それこそ、相手の親がやるべき事を引き受ける必要なんてないんじゃないかと…

 

相手のイライラを引き受けても自己犠牲だけど、距離を保ったり引き受けられないと断る事に使う労力だって自己犠牲だと思うんです

 

他人にそこまでする必要は、私には感じられないかなと…

 

あまりにも耐えられないなら、物理的に離れるべきだと思ってしまいます

 

自分の犠牲の上の相手の幸せなんて、存在しないと思っているので、その労力は自分の幸せに繋がっているのかを考えてもいいかなと思います

 

職場とかお客さんとか子供を介した親との関係とかは、物理的に近くないし元々距離を取ろうと思えば取れる物なので、上手くやる事に挑戦してもいいかなとは思います

 

ちなみに、軽い自己愛は誰でもあるもので、体調や環境によって強くなったり弱まったりするんだと思います

 

普段はそれほど強くない人が、環境の変化で自信が無くなったりして強くなる分には、そのうち何とかなるかもしれないので距離をとったり根気よく付き合うのはいい方法かなと思います

 

私も自己愛性人格障害者と上手くやっていく方法を模索していますが、そんな方法を模索する場所はずっと居たい場所のみです

 

切れるところはさっさと切って、要らぬ労力は使わないのが自分を大切にするコツだと思っています

 

自己愛性人格障害者は近くにいれば精神的に距離を取っていても気持ちが擦り減らされる人達です

 

自己愛性人格障害者と上手くやってまでもそこに居たいと思う場所が見つかったら、そんな場所にたどり着けた事に感謝して、そこを居心地のいい場所にするチャレンジをしてみるのもいいかなとは思います

 

要は自分の中で要るものと要らないものの区別をきちんとして、要るものだけを大切にしてみたら?って提案かな

 

優しい人は特に人間関係も断捨離が必要かもしれません