「時間がない」って断り方の不快感
私の近くの自己愛性人格障害者達は常にせかせかしている
「忙しいのがカッコいい!」と思っているので、忙しさをアピール!
電話を掛けたり、人と話をしたり一人でいることは少ない
大抵は悪口に花を咲かせながら、人を見下している
噂話と自慢話と悪口を子供を放っといて延々としている人が多い
暇そうだ
でも、何か頼み事をすると「時間がない」って言葉が返ってくる
格下だと思われている人間が協力を仰いで貰うことはまあまあ難しい
だから、協力をお願いする時は最小限
少しでもお手伝いしてくれそうな時は自己愛性人格障害者が渋々なのを無視して「ありがとうございます!助かります!」と言ってわがままを受け入れてやって貰う
他の人が協力する中、自分だけがやらないのは目立つからやる形だけの協力だと分かってはいるけれど、その不快感も周囲はなるべく無視する
周囲は常にこの不快感を持ちながら、物事を一緒にしているのだ
この不快感は心に残る
だから、自己愛性人格障害者が周囲に「協力して欲しい」と頼む時、周囲の人達は自己愛性人格障害者に不快感を持ちながら手伝う
自己愛性人格障害者に扱いをよくしてもらおうと協力的な態度で望む人も沢山いる
でも、それは損得を考えた末の選択
「助けたい!」って思いとは違う
自己愛性人格障害者は、その損得勘定を利用する
「私に協力すると得よ!」「私に協力すると後で便宜を図るわよ!」「私に時間を割くのは当然でしょ!」「私に協力しないと後が怖いよ!」と…
だから、自己愛性人格障害者が力の有るときは、損得を考えて協力的な人は多いが、自己愛性人格障害者が落ちぶれると周りに誰も居なくなる
他人の予定を入れるときは優先順位を決めながら、自分の予定を調整する
やりたくなければ断るし、やらなければいけなければ何とか予定をやりくりする
逆にやってあげたいと思えば時間的に難しい場合でも「少しの時間でも良ければ手伝うよ!」と言うだろう
しかも、お手伝いしたいと思いながら、楽しく出来たお手伝いで感謝されたりしたら人の心は満たされる
だから、自己愛性人格障害者の周囲と協力したいと思う人の周囲とでは、同じお手伝いだとしても、その中身や気持ちが全く違うのだ
「時間がない!」の一言には「あなたに協力する時間は作りたくない」という思いがあると誰もが知っている
あのモヤモヤした不快感は、後々威力を発揮する物なのだ
人を見下していると「時間がない!」って言いがちかも
あの時はそのモヤモヤの意味が分からなかったけど、私も家族に言われてぶっちぎれた時があるな…
「協力してあげたいと思われる人」になるのはなかなか難しそうだけど、この断り方の理由が分かれば、せめて自己愛性人格障害者的な不快感は取り除けそうな気がするかな