心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

犯人探しをする人達は…

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物が壊れたときや無くなったとき、何か事件が起きたとき、ひたすら犯人探しをする人っている

 

壊れた物が直っても、無くなったものが見つかっても、自分には全く関係ない事件でも、誰がやったのかを調べる

 

暇なんだろうが、ただ暇だから犯人探しをしている訳ではない

 

そういう人達は犯人を見つけて、その人を正さないといけないと本気で思っている

   

正さないと?謝らせないと?懲らしめないと?世の中にとって迷惑だと周りにも知らしめないと?

 

そもそも、その犯人は犯人探しをしている人に謝る必要なんて無い

 

多分、迷惑も掛かっていない

 

大抵、被害者ではない

 

ただ、自分は正義だ!と言いたいだけ

 

そもそも、なぜ「自分が正義だ!」と言いたいのかというと、そう言わないと自分はキチンとしていると思えないから

 

何も出来ない価値の無い人間ではなく、悪を正せる誰よりも格が上の人間だと思いたい

 

ダメな人間を正して上げないと、世の中は良くならないと思っている

 

どれだけ自分がちゃんとした人間なのだろう?と思うかもしれないが、自分がちゃんとしているかどうかなんて、どうでもいい

 

おもいっきり自分の事は棚に上げるので、自分の行動を見返すことなんてない

 

ニートだろうが引きこもりだろうがいい

 

そんな人が何人か集まると、あっという間にいじめみたいに、誰かを探して袋叩きにしてしまう

 

それでもそれは「正義だから正しい」と本気で思ってやっている

 

もし仮にその人が追い詰められて自殺したとしても「そんな人に生きる価値なんて無い」と自分達がやった犯人探しは正しいと言い切ってしまう

 

小さい所だとお友達だったりクラスの子だったり、大きくなればSNSとかで不特定多数の人が参加するこの犯人探し

 

偉そうに正義感を振りかざすけど、ただの「いじめ」

 

皆いじめの加害者

 

正義になろうと時間を割いて、悪になる行為

 

でも、やっている本人達に悪意は無い

 

自分に自信の無い人達が、言い訳を探して他人を叩いて自分を保つ

 

今は情報社会

 

知ろうと思えば大抵の事は知れてしまう

 

そんな情報社会だからこそ、知らないで置くことの方が大切かも

 

情報をスルー出来る力って必要かも

 

情報量が多い世の中だからこそ、情報の量を絞る事や、いらない情報を過度に詮索しない事や、自分の判断でいらない情報を切り捨てられる力が必要なのかもしれない

 

警察でも無いのに犯人探しをする人達は、いらない情報をキチンと判断出来ない人達なのかな

 

判断出来る自信が無い人達なのかもしれない

 

そう思うと、正義ってつまらないしどうでもいいことなのかも

 

いつまでこういう人達が増えるのかな~