心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自分に責任を置いた話し方をしないと信用を失うかも

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前回、情報開示の仕方を間違えると嘘をついていないけど信用を失うかもみたいな記事を書いた

 

それとちょっぴりにてるけどビミョーに違う気がする事を掘り下げてみたい

 

グループのリーダーや先生はグループ内に情報を流す時に上手に流さないと難しいのかな?なんて思う出来事があった

 

自己愛性人格障害者はよく故意に片寄った情報伝達をする

 

自分のお気に入りの人にだけに、特別に情報を流したり、ターゲットにだけ情報を流さなかったりして、人の感情を操作する

 

「他の人には内緒だけどあなたには教えておくね」なーんて言われたら、人間「この人に付いていたら色々な事が特別に教えてもらえて得しそう!」と思ってしまう

 

逆に嫌われたら重要な情報が流れて来ないなら、誰もがその人から嫌われないように媚びる

 

性格が物凄く悪くても、ニコニコ笑いながらご機嫌を取るだろう

 

自己愛性人格障害者はそんな手法を使ってグループを作ったり操作したりする

 

逆に、自己愛性人格障害者では無い人や他人を操作する気が無い人が、もしも故意ではなくても一部の人にしか情報を流さない様な事をしてしまうと、人は思いもよらないところに操作されてしまうことがあるかもしれないなんて思う出来事があった

 

5人のグループの先生がグループ内の2人に意見を聞いて、例えばその2人が「NO」という意見を出したとする

 

その時点で、先生の頭の中でも「これはNOだな」と決めて結論を出したとする

 

その後他の3人の意見は聞かず「皆さんNOで決めました」と5人に先生が言ったとする

 

後で先生が意見を聞いた人と聞かなかった人がいたとその5人が分かったら、それがたまたま先生の近くにいた2人だったとしても、他の3人は先生に重要視されていないと思うだろうし、その2人は先生から特別扱いを受けているかもしれないと思うだろう

 

その3人の中に「YES」の答えを持っている人がいたなら尚更かもしれない

 

先生に好かれないと意見も組んでもらえないと思い、先生にゴマをする人が出てくるかもしれないし、その気に入られてるであろう2人の側に行こうとその2人に取り入る人が出てくるかもしれない

 

そのグループはその後上手くいかなくなるかもしれない

 

もしもそこで「一部に意見を聞いてみたけど、先生がNOと判断してNOと決めました」と先生がその意見を決めた過程を少し細かく伝えたのなら、一部に意見を聞いたとしてもその後の変な憶測は無くなる

 

後から「一部が特別かもしれない」なんて誰も思わないし、逆に「初めは5人の意見を聞こうと思ったけど聞く前に自分の判断が固まった」と先生の意思が感じられたなら、誰の意見もそれほど変わらないと5人が並列に並ぶのかもしれない

 

そこに一言あるかないか?そこを一言説明するかしないか?で、印象はガラリと変わるかもしれないのだ

 

人に寄って態度や対応を変える人は、目の前の人の信用をいくら得ようと思っても、誰の信用も得ることが出来ない

 

気に入った人にだけキチンとした情報を流す人は気に入られなくなったらおしまいだ

 

気に入られるか気に入られないかなんて、相手の決めることだからそんな不確実な事を信用する人は少ない

 

結果、少しでも人に寄って違う対応をとるという印象が付いてしまうなら、信用を失うことになるかもしれない

 

「他人の意見を考慮しました」というニュアンスではなく、「自分の意見です」と責任を自分に置くだけで、その印象はだいぶ変わるということを今回は勉強させてもらったなあと

 

ちなみに、これも吉本の岡本社長は使った気がします

 

自分の意見として自分に責任を置いた発言をしなかった事は、信用を失墜させた原因の一つなのかもしれないな

 

物事の伝え方は難しい

 

上手に話せる人の技術は素晴らしいね