心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者が少し遠くに情報を出してみると

自己愛性人格障害者の近くに居る人はなんだか変だなって気がついている人もいる

 

同じ場所に長くいれば、いざこざがそこら中で起きて、どこもかしこもそんなに信用出来ない人ばかりになってしまう時もある

 

そうなると近くの取り巻き以外からは賞賛を受けれなくなってくる

 

ある程度の取り巻きの人数が多ければ、その自己愛性人格障害者の心は満たされるのですが、取り巻きの人数が少ないとその少ない賞賛では満たされない

 

ある程度の人数の取り巻きがいても、自己愛性人格障害者の賞賛を得たい欲求に際限が無いため、まだまだ賞賛を得たいと思う

 

では、どうするか?

 

少し離れた自分をあまり知らない所へ自分の自慢出来る情報のみを切り取って流す

 

その切り取られた情報だけ見れば賞賛に値するため、それをその情報をうけとった人が賞賛するとする

 

なんなら、SNSを使って少しでも賞賛してくれさえすれば、あっという間に遠くから賞賛が得られる事になる

 

今の時代は本当に便利だ

 

遠くからは、自己愛性人格障害者の正体なんて見えやしない

 

賞賛だけが一人歩きする

 

素敵な事だ

 

もしかしたら、取り巻きはいらなくなるかもしれない

 

けれど、やはり近くで賞賛してくれる取り巻きは必要だ

 

自分が凄いと演出するためにも威厳を保つためにも近くの取り巻きは欠かせない

 

近くの取り巻きと遠くの賞賛を得てしまえば当分は、自己愛性人格障害者の心は満たされるのかもしれない

 

それが、自分でなく子供の自慢だったりすれば、明らかに自己愛性人格障害者だろう

 

自分だか子供だか、区別がつかない

 

子供の功績が自分の功績だと勘違いして、子供を所有物だと思っている

 

まっ、ありがちだけどね

 

子供は子供

 

親は親

 

子供が凄いのは、子供の努力

 

いくら育てても、お手伝いしても、親が賞賛されるのはどうかな〜って思う

 

そんな子供に育てたいって思うかもしれないけれど、母親がしゃしゃり出て来たりすると寒気がする

 

親は親で活躍すればいい

 

親はその子を育てた親ではなく、親の力で大きくなればいい

 

だいたいそういう親は、自分で輝ける力がある

 

なのにもったいない

 

自己評価が低すぎて、子供を使わないと輝けないと信じて疑わない

 

人のふんどしで相撲を取ることになれてしまった今となっては、もう自分の力で勝負する事など出来ない

 

だから、どこまでも人を使って賞賛を得る方法を考える事だけに頭を使う

 

その頭、何か別の事に使ってもらいたいけれど、なかなか難しいんだろうね