心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者に仕返しした人を見て思う

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自己愛性人格障害者が「謝れ!」っていうのに対して「悪くないから謝らない!」って言ってバチバチと火花を散らしてた人がいた

 

「謝れ!」って言うのも凄いけど「悪くないから謝らない!」って私は言えないから凄いなって思っていた

 

凄いなってより、きついなって印象かな

 

その時点で自分ならどうするかな?

まあ、なるべく近づかない

 

「謝れ!」って言われたら、とりあえず謝るかも

その後離れるかななーんて思っていた

 

そのうち、対立が激化する

 

ある日、自己愛性人格障害者がまたいちゃもんをつけてきた

 

まあ、言いたい事は理解できたけど、バチバチやってるところで言ってもただのいちゃもんになってしまった

 

そして、ただのいちゃもんだと受け止めた相手が、切れた

 

「そんなことしてないのにいちゃもんをつけてくるなんて謝れ!」となった

 

自己愛性人格障害者の言いたい事が分かる出来事だっただけに、その反撃には共感出来なかった

 

そして、言われた方の反撃ほ終わらず、そこかしこにいちゃもんをつけてきた自己愛性人格障害者の悪行を言いふらしていた

 

初めに言ってきたのは確かに自己愛性人格障害者なんだけど、結局反撃した人も自己愛性人格障害者なのだ

 

自分が上だから注意してあげてると自己愛性人格障害者は思っていたいたのだが、相手も今度は自分が上だから言いたい放題言えるとなってしまう

 

勝ち負けが逆転しただけで、勝ち負けが人間関係に存在していることに変わりはない

 

 

本当は人間関係に勝ち負けはあまり関係ない

 

勝負に勝ったからって、負けた相手を奴隷に出来る訳ではない

 

相手が悪いからって自分が正しい訳でもない

 

相手が地に落ちたからって、自分が天下をとれるわけでもない

 

でも、自己愛性人格障害者の考え方だと、勝負に勝てば負けた相手を奴隷に出来るし、相手が悪いと証明できれば自分が正しいと言うことなのだ

 

毎日マウンティングをされていると、そのうちその価値観が移って、結局その人も自己愛性人格障害者になってしまう

 

そうなったら、どっちもどっちだ

 

どちらの味方にもつけないし、近づきたくない

 

いつかまた、はじめから自己愛性人格障害者だった人が巻き返してギャンギャンやるんだろうな

 

常に上下を意識して、勝負をし続けるんだろうな

 

なんて思いながら、静観している

 

自己愛性人格障害者は放っておけば自滅する

 

やられたら仕返しをするより離れて自滅するのを見ている方が楽だしいいなと私は思うけど、やっぱり同じ土俵に立ちたくなってしまうのかもしれない

 

また一人自己愛性人格障害者が増えただろう出来事に残念だと思った


もしかしたら、元から自己愛性人格障害者だった人の考え方が確立しただけかな?