心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人を見下す人との会話は楽しくない

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自分の事を人にバカにされたり見下されたりすると、気分が悪くなる

 

それは当然

たぶん、鈍感な人で気がつかないのは別として、嫌だなと思うのは普通の感情だと思う

 

でも、実は自分ではなくて他人の事をバカにしたり見下したりしている話を聞いたときにどう思うか?ってところは、かなり人それぞれ

 

「そうよね~」と言って同調しながら悪口に花を咲かせる人もいれば、口をつぐんでしまう人もいるかもしれない

 

私は、そこにその人や周りの人の考え方を垣間見る

 

見下した言い方をした本人はそこにコンプレックスを持っていたり、きっと何か嫌なことがあっただろう事を想像できる

 

その見下した人に対する感情が被害妄想なのか本物の被害だったのかは、その関係性を見れば大抵は分かる

 

ただ、酷い被害にあっても、それだけで見下した言い方にはならないと思うんです

 

そこにコンプレックスがあったり、被害にあったせいで、今悔しい思いをしたり相手のせいにしたくなったとすれば、チクッと言いたくなっちゃう時は誰でもあるかもしれない

 

直接見下した言動をした人の事を、私はそんな風に見ている

 

それよりも、気になるのはその人の周りにいる人の言動

 

もう何も話したくないという人は、その場で何も喋らなくなったり居なくなってしまったりする

 

「そんなことないんじゃない?」って反論する人もたまにいたりするけれど、それはそれでなんだかきつい

フォローしなければいけない義務や洗脳を感じるかも

 

フォローは言い出した人が居なくなってからする方が多いかな

 

まあ、その言った本人以外の周囲の方が仲がいいし信頼関係が出来ている様な場合は、そんなこともあるかもしれない

 

そして、同調する人達はというと基本見下して自分の価値をあげる人

 

これがなかなか質が悪い

 

この人達は人の悪口が大好物

 

悪口を求めて情報を集め、悪口を食べて生きているような人達

そんな人達は、悪口でしか会話に花が咲かない人達

 

聞けば笑顔で喋ってるときは全てが悪口

 

近づくとろくなことがない人達だ

 

と、こんな感じで、人を見ています

 

 

人を見下さない人は他人を尊敬しています

尊敬?尊重?まあその辺は微妙だとは思うのですが、上か下かで人を見ていません

そもそも人間を比べてはいないのです

 

だから、見下すなんて事があまりありません

 

見下す人達は他人との比較ばかりしながら生きているのに、見下さない人はそんな思考回路は無いのです

 

 

きっとおしゃべりが楽しいことの1つの条件は「人を見下さない」ことだと思うんです

 

見下しながら話をする人が1人いると、周囲の対応でその周りの人達の人柄が垣間見れてしまう

 

見たくない事も沢山あるし、そういう時は本当に残念に思うから、なかなか楽しくはならないのかもしれません

 

出来れば、周りと楽しくおしゃべりしたいです

 

人と比較することが、楽しく話せない原因だなんて、まさか思っていないだろうな~と目の前にした集団に思ったりしてます

 

まあ、そんな人達は大抵悪口をじゃんじゃかいいながら楽しそうですが…