心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

収入や美貌だけが目当てだったくせに!

f:id:pilatesno-1:20210220212057j:plain 結婚相手を決めるときやお付き合いをする時、何を基準に相手を決めましたか?

相手の収入!

見た目の綺麗さや格好良さ!

優しさ!

まあ人それぞれたけど…

それ、そもそも自分の基準でしたか? 周りの評価ではなかったのかな?

周りよりスペックのいい相手、自慢出来る相手を探した場合は、必ずそんなはずでは無かったと思うときが来ます

自己愛性人格障害者は、その考え方の間違いを教えてくれるのです

選んだ相手が自己愛性人格障害者であった場合には、自分自身がその人の本質ではなく、見た目やスペックを選んだ可能性が高いと思います

自己愛性人格障害者が全て悪いと片付けてしまうのではなく、自分の見方を変えないと、その自己愛性人格障害者と離れてもまた同じような人を好きになる可能性は高いです

女性の場合は、相手の収入が高かったり、自分だけに物凄く紳士的な優しさを与えてくれたり、格好良く奢ってくれたりする男性は素敵に見えるかもしれません

でも、結婚してみたら、周りにはもっと収入の高い人はいるでしょう

そしたら、あの人をなぜ私はゲット出来なかったのか?って悔やむでしょう

収入が高いだけが目当だったら、別に暴力を振るおうが、ギャンブルをしようがいいはずなのに、きっとそんなことはないはず

格好良く奢ってくれるのも、自分だけ特別だったときは嬉しかったし、一緒にいればただでご飯にありつけて得をする相手だからいたけれど、裏を返せばただの見栄っ張り

結婚してしまえば奥様に見栄を張る必要も無いし、浪費は絶えないだろう事は分かるけど、それが格好良く見えて結婚して、そこを嘆くのって変

格好よくて人に自慢出来る相手を選んで、自慢しまくった人が、相手である配偶者から人格否定やモラハラをされて耐えている現実があっても、誰も助けてはくれないかもしれない

それは、自慢したときに周りに対して格好良くない相手を配偶者として選んだ人達だと、下に見てバカにした過去があるからだ

厳しいが、今の自分は誰かに作られた訳ではなく、自分が作った人間だと思う

辛い状況を誰かの手を借りて脱する事が出来たなら、その手を差し伸べてくれた人に感謝して、その辛い状況を作って気づかせてくれた人にも感謝しないと、何も変わらない

自己愛性人格障害者は、見た目や社会的地位や見栄を大切にして、損得と勝負のみを基準として生きている

だから、得をする勝ち組の人に多いのは当然だし、それだけを目当てに選んだ相手のはずなのに、後で「損得や勝負以外の価値観があるはずなのに」と嘆いても、ずるいと私は思ってしまう

自己愛性人格障害者は、そのずるかった自分の基準を気づかせてくれた相手なのだから、落ち着いたらいつか感謝出来る時が来るといい

相手のせいにしていても、何も進まない

自己愛性人格障害者はなかなか変わらない

相手が悪いから、自分は悪くないと思ってしまったら結局変わらない

自己愛性人格障害者のターゲットになったときは物凄いピンチだけど、違う価値観を掴むチャンスかもしれない

出来ることばかりが素晴らしい世界から、出来ない事を認められる格好良さに気がつけるチャンスじゃないかと思う

今まで幸せに見えなかった人が幸せに見えて、自分が今ここにいることも幸せに感じられるなら、自己愛性人格障害者のターゲットになった意味かあるかもしれない

自分が選んだという考え方に責任を持つべきだと思います

ひゃー、厳し過ぎだね