自己愛性人格障害者の偵察兵
自己愛性人格障害者は、家族や取り巻きを偵察兵として使う
自分が人に会えるほどの自己評価が保てない時は、配偶者をつかって自己評価が上がりそうな情報を集めて来てもらう
子供も「自己愛性人格障害者の方が素敵」という情報を探して動き回る
取り巻きがいれば、取り巻き達も「やっぱり自己愛性人格障害者は凄い」と絶賛できる出来事を探す
そして、逐一報告
でも、その報告の見返りなんてほとんど無い
自己愛性人格障害者は見返りがありそうだと見せつけて、その報告や称賛を手にするが、気がつけば普通の扱いを受けるだけなのだ
怒鳴り散らす事が、少しの間減る
いじめがほんの少しの間収まる
DVが自分以外の人に向く
冷静に見たら些細な事だし、正直メリットというかそこにいる事のデメリットばかりが目につくのだが、選択肢が「DVを受けるか受けないか」「イジメられるかられないか」しかなく、しかも損得と勝負のものさししか存在していないと洗脳されてからだと、もうその称賛や報告が最善の策としか思えない
気がつけば、自己愛性人格障害者の評価を得るために偵察兵として動く事が当然となり、自己愛性人格障害者の力になりたいと心から思い、その自己愛性人格障害者を立たせる事こそが自分の使命だと思ってしまうのだ
自分が自己愛性人格障害者にとって、一番の味方である事への誇りさえ感じられる
その忠誠心に私は危機感を感じて離れるが、本人は真面目に芯を持って仕えているだけなのだ
だから、偵察兵だけがいい人なんてあり得ないけれど、良い人に見えてしまう
その忠誠心と真面目さが全面にでているからそう見えてしまう
「私はあの人達とは違う」と言っていても、実は近くにいるというだけで、常にその選択を迫られている事に変わりはない
どんなに端っこの偵察兵でも、偵察兵の中の逆転劇を狙っているし、その情報集めに余年がない
これだけ中身が分かっている私だって、自己愛性人格障害者の多いコミュニティーにいれば、ふと迷うこともある
こんなに距離を置いているはずなのに、掻き回されると腹が立つ
偵察兵を一人二人と増やしていこうとするその姿も、気味が悪い
仕方がないのかと思いつつ、横目で眺めているだけなのだ