心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人に順位をつけると人見知りになるかもね

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私は、人間を並列に並べます

 

どういう事かというと、赤ちゃんもお父さんもおじいちゃんも、皆横並びの人間です

 

大きな会社の社長さんも、赤ちゃんも同じ人間でしかありません

 

それ以上でもそれ以下でもなく、社長さんだから敬うのではなく、一人の人間として敬います

 

赤ちゃんも一人の人間として敬います

 

そこに、「偉いから」とか「年齢が上だから」とかの条件が加わったところで、態度が変わることはありません

 

もちろん、言葉遣いは違いますが、それはその人に合う言葉を使うだけで、偉いから賞賛しておこうとかは思いません

 

だからでしょうか?

 

そもそもの垣根がありません

 

偉い人でも年齢が離れている人でも「お友達」という枠に入る人が多いです

 

それでも、失礼な事をしてしまったと悔やむ事はありません

 

それはもちろん、私の方から見た見解に過ぎませんが、お付き合いする人達に敬意を評していなければ、きっと相手は私は避けるのではないかと思います

 

ちなみに、この考え方だけでも自己愛性人格障害者は周りから随分いなくなります

 

「あなたのやる事全てが失礼だ!」と言われた事もありますが、そんなことをいうのは「私の肩書に敬意を示し賞賛すべきだ!」という自己愛性人格障害者のみです

 

ところが、周りと話をしていると、そんな並列の考え方の人は少ないように思います

 

お父さん、お母さん、子供の順番で家族が並んでいたり、お父さんとお母さんの下に子供がいたりします

 

仕事上はこの並び順が比較的ハッキリしています

 

あと、損得で物事を考える自己愛性人格障害者的な人たちは目の前の全ての人間に順位をつけます

 

人に順位をつける作業をするためには、まず人を観察して、その人がどのような人かを分からないといけません

 

人を順番に並べる人達は、初対面の人を性別や身成、肩書や車まで全てを見て、自分より上か下かを判断してから自分がどう対応するかを考えるのです

 

対して、そもそもその判断をしてから対応を決めるなんて事を必要としない並列の関係を築く私達は、会ってすぐに人との距離を縮めます

 

話をする中で、この人はどういう人なのかな?と考えます

 

順位をつける事もありませんから、評価が変わる出来事が起きても、順位が上がったり下がったりする事は無いので、対応に変化はありません

 

人間の順位を変動させる事には、実は物凄い力がいります

 

自分の見立て違いを認めないといけないという大きな壁があるし、対応を変えないといけないという表の変化を人に見られる可能性がある事が付随するで、なかなかみっともない

 

だから、人の順位は一度決まるとなかなか変わりません

 

人を縦に並べている人達は、そんなグラフを日々完成させることに意欲を燃やして、人間関係を構築するので、まあまあ疲れるし、日々情報収集に余念がないのだと思います

 

基本、人の事を根掘り葉掘り聞く人や詳しい事まで知っている人は、生きていく上で必要な情報だから集めるのであって、全ての人がそうやっていると思っています

 

そうではない私みたいな人もいるということを知りません

 

ここからは私の持論です

 

人を並列に並べる考え方なのか?順位をつける考え方なのか?は実は人懐っこさに関係してのではないか?という事

 

 

何も知らなくても、話しながらその人を判断する人と、どのような人かが分からないと対応方法を決められない人とは、初対面の人との距離の詰め方が全く違います

 

並列な人は、とりあえず話の輪に入ります

 

順番を決める人は、情報を集めてから輪に入ります

 

これは子供達にもいえます

 

子供達は順番を決める情報量を確保できません

親の情報収集が終わるまで、輪にはなかなか入りません

 

親のオッケーが出て、初めて入るのです

 

学生でも、情報をしっかり収集してから自分にとって得な人を探してお友達を作ります

 

そんな家では、きっと人間に順番をつける作業が日々行われている事と思います

 

「あの子、〇〇高校に通ってるらしいよ」

「あの子の親は医師らしいよ」なんてところでしょうか

 

ちなみに並列に人を並べる我が家の中では、まあまあ面白い出来事があります

 

4歳の子が偉い方を「お友達!」と言って紹介してくれた事がありました

 

手を繋いで、自動販売機のジュースを見ながら会うたびに楽しそうに時間を過ごしていました

 

ちょっと失礼かな?なんてそういえば感じた事はありませんでした

 

お互いに同じ事に熱意のある人間として認めていたのかな?なんて今思えば思うんです

 

その出来事を大きくなった今も、ちょっぴり笑い話として話します

 

そんな相手の方の肩書が分かった今もなんとなく我が子の「お友達」です

 

私の人を並列に並べる考え方を子供達は受け継ぎ、人懐っこく生きています

 

ちなみに、夫は今のところ並列に人を並べてはいません

 

我が家でただ一人、子供達や私を自分の下に置こうとして、その関係がうまくいかない事にもがき苦しんでいます

 

並列で並んだ人間関係に順位をつけようと、人を下に置いたりすると、下に置いた子供達が反発します

 

馬鹿にしているつもりは無くても、無下に扱う相手に、喜んで近づく人はそういません

 

その傾向は自分に自信が無くなれば無くなるほど、強くなります

 

ここをガラリと変えるのは、難しいことなのだなと、見ていて感じます

 

この考え方は必ず受け継がれると思います

 

だから、サラッと変更できるものではない難しい問題だと思います

 

自信がある時はいいんです

 

自信が無くなると、プライドが邪魔する難しい問題だなと我が家の中でも思います