心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

性別に情報としての価値がなければ

f:id:pilatesno-1:20210302100925j:plain 前の記事で、私は尊敬するのに目上か目上じゃないかの判断が無いって書きました

そもそも、私にとって年齢と性別や役職や職業や学歴や経済力は、あまり情報として必要な物では無いです

頭の良さは話をして私自身が判断するので学歴や役職や職業は関係無いし、年齢や性別はどうでも良くて、細かいニュアンスまで伝わる言葉があればベストかなと思います

犬でも猫でも植物でも、言葉以外で気持ちや思いが伝わるなら言葉が喋れなくてもでいいのかも

経験は年齢には比例しないし、性別で経験が変わることも特に無い

偉い!って言葉も「頑張ったね」って意味でしかないし、尊敬している!も「キラキラして素敵ね」って意味でしかないし、特に性別や年齢で上下があるわけではない

ちょっと上下関係が出てきてしまうから違うかもしれないけれど、犬が飼い主の家族を偉い順に並べる感じかも

子供大人や男性女性関係なく信頼の度合いで並べる感じ

だからかな、男性でも女性でも、男性の体を持った女性でも女性の体を持った男性でも、どうでもいいんです

好きになるのも、男性を好きになるのか女性をすきになるのかが分かりません

もしかしたら、同性にドキドキする事が無いとは言えない感じです

たまたま付き合って結構したのか男性だったような…

女性とお付き合いした事はないですが…

でも、実際世の中はそういう人達を差別したりする人は多いです

「気持ち悪い」とか平気でいいます

いったい何なんでしょう?

ちなみに、どっちにしろ下品な人は苦手です

どんな人でも、近づきたくはないです

気持ち悪いです

差別とかいじめとかをして排除する人達こそが、下品で気持ち悪いだけです

男性だからって女性より偉くも無いし、いっぱい稼いでお金持ちでも、しょぼい人はしょぼいです

その判断を自分のもの差しで出来ますか?

私はずっとそのものさしで判断してきたので、情報が沢山いる人の判断の仕方がよく分かりませんが…そんなに情報量必要ですか?

そう思えば、性別で悩んでいる人は世の中沢山いると思うんですが、もしかしたらどうでもいい事かもしれないです

心無い事を言われたら傷つくけれど、自分のものさしを持っていない残念な人達なんだから、諦めたらいいんだと思うんです

そうじゃない人達は沢山いるので、楽なところで生きていくのがいいです

ちなみに、自由を受け入れたり表現出来る力を親から育ててもらった人の多い芸術家さんは、受け入れてくれる人が多いと思います

そんな貴重な経験はなかなか出来ないですから、その経験を活かして表現出来る場所があって、更にそれに価値が出たり評価されればいいなと思います

日本の義務教育は真逆なので、学生時代はちょっとキツイのかもしれないですけど、それはそういう人に限った事ではありません

自分軸を持っている人や持とうとする子供たちも皆キツイと思います

そこを変えられたら最高ですけど、今のところは難しい

いつか、変わっていくといいなと思います