心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の子供の努力の形

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周りの自己愛性人格障害者の子供達の躍進が止まらない

そんな事を前にも書いたが、やっぱり複雑な思いだ

子供達が活躍すると「ちょっと一安心」と周りの皆が声を揃えて言う

ふるわない結果だと、自己愛性人格障害者である親はピリピリする

自分の育てた子供の出来が悪い事は自分の評価が下がる事になり、そのイライラの解消をするために周りの人の不出来を突きながら当たる

そんなのゴメンだから、とりあえず自己愛性人格障害者の納得のいく成績を子供がとってご機嫌でいて欲しいと思う

でも、内心は誰もがいい成績なんて取らなければ良いと思っている

結局、誰も応援していない

それにしても、自己愛性人格障害者の子供は親の期待を一身に受けてどんどんと頑張る

これが子供が結果を出すための最高の方法なのだろうか?

確かに、子供に最高の結果を求めるやり方としてはいいのかもしれない

親の愛が欲しいがために最高のプレゼントを子供達自身が身にまとう

そりゃー褒めてもらいたいから 愛してもらいたいから

捨てられたくないから

そして、今回のプレゼントで子供達からのプレゼントは終わりではない

次のプレゼントも、その次のプレゼントもどんどんと前よりも大きく尊大なステイタスを求められている

子供達はますますいい成績を取り、勝ち続けなければならないと思うのだ

結果だけ見れば勝ち組なのかもしれない

自己愛性人格障害では無い親の子供達が、そこまでの努力をする事は、正直なかなか難しい

親の愛を得るための努力がどんなに悲惨でも、それだけの努力をした事に変わりはない

努力の仕方としては問題だらけだが、努力をして高みを目指す方法としては、もしかすると最も簡単な方法のかもしれない

これを精神的な虐待であるとして排除することなんて出来ないし、その努力の仕方は間違っているからその成績は無効ですなんて事もありえない

そんな自己愛性人格障害者の子供達が日本一になる可能性だってあるし、世界を代表する可能性だって無いわけではない

大抵は、その自己愛性人格障害者の要求であるプレゼントを子供が持ってこれなかった時点で、子供達が息切れしてしまい、成績を取り続ける事を諦めてしまうけれど、これに変わる物がなければ子供達が捨てられてしまうという思いは変わらないため、ぎりぎりまで頑張るし、引き際も難しい

最終的に「誰かに陥れられた」とか「誰かに妬まれた」とか言って、成績が落ちたり負けた事を人のせいにして親子共にその場所から消えていくパターンが多いのかもしれない

その努力の仕方は凄まじいし素晴らしいので、それだけなら何の問題もないけれど、周りの成績の出ない親子達を出来損ないとバカにして、自分のやり方こそが正しいと強要し、自分の尊大な存在をアピールする

目障りな人をいじめて潰し、人の優しさや善意を利用し搾取する

いるだけで公害だ

この大きな努力と迷惑な存在が一体となっているからこそ、社会から排除する事が難しい

そして、もう一つ…

物凄い自己愛性人格障害者が一人グループに入ってくることで、元々いた一人であまり気合いの入らなかった自己愛性人格障害者のスイッチが入る

お互いに物凄い戦いを挑みながら、ライバルとしてどんどんと努力を重ね成績を上げていく

周りもその競争心に煽られ、いい成績を上げていく

なーんて事が起こりうる

そんな影響は過度に受けたくは無いけれど、外から見たらいい影響なのかもしれない

ピリピリも自己愛性人格障害も伝染する

こんなに自己愛性人格障害者がいる環境で、グループをどう素敵に維持していくかという事が、グループを率いる人や私にとっての今の課題だ