自己愛性人格障害者の子供が素敵に見えるけど
自己愛性人格障害者の母親をもつ子供は本当に努力家で、お母さんのために一生懸命だ
お母さんの思う良い子を目指し、お母さんの目指す目標に繋がる道を歩き、お母さんを輝かせる為に必死に努力する
そこに限界もなければ、実は目標もゴールも無い
出来なくて傷つくのは子供だし、出来て輝くのは自己愛性人格障害である母親なのに、その母親の笑顔と愛が欲しいために子供は努力する
そりゃ、素敵じゃないとやってられない
その努力に見合う魅力はあるし成績も取れる
取れて当然だ
だから「素晴らしい!」って思う
でも、絶対に応援したくない
自分には全く関係ないけど、失敗すれば良いと思ってしまう
何だろう?このモヤモヤした気持ちは…
人の気持ちって不思議
凄い!って思うと応援したくなる
駄目だ!って思って応援するのは、ちょっぴり難しい
自分の中で認めた良い物は応援したくなるし、自分の中でパッとしないなと思った物は応援出来ないのかもしれない
例えば、マイナーな文房具でお気に入りの物があったとする
どんどんと売れてメジャーになってきたら嬉しい
自分の見る目を肯定してもらえた気がするからかもしれない
カッコいい大好きな選手の人気が出ることは嬉しいし応援したいけど、性格が悪い選手が良いプレイをしても応援出来ないし、別に嬉しくない
どんなにステキとか凄いとか素晴らしいとかでも、自己愛性人格障害者の子供を応援する事は私には出来ないし、応援する事が出来ない物は何だか認める事も出来ない
あんなにステキな物が、ステキに見えないなんて、自分が何だか残念だけど、人の心や目はなかなかスッキリ割り切れない
あーあ、自己愛性人格障害って残念
良い物が良い物と認識出来ない位、心が彼らを拒絶する